文化史

言葉

「敬語」はなぜ三種類では説明しきれないのか——尊敬・謙譲・丁寧と、文化庁が分けた五つ

学校で習う敬語は尊敬語・謙譲語・丁寧語の三種類。けれど文化庁が2007年にまとめた「敬語の指針」は、これを尊敬語・謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱ・丁寧語・美化語の五つに分け直しています。「伺う」と「参る」はどちらも謙譲語なのに、何が違うのか。敬語が三つに収まらない理由と、神への言葉から相互尊重へと性格を変えてきた歴史をたどります。
歴史

ペストはなぜヨーロッパを変えたのか——黒死病後に動いた賃金と信仰

黒死病は人口の激減を通じて中世ヨーロッパに何をもたらしたのか。労働力不足が農民の賃金を押し上げ、1351年の労働者規制令も止められなかった。一方で教会は無力をさらし、鞭打ち苦行やユダヤ人迫害も広がる。ペストが「変えた」ものと、すでに始まっていた変化とを、史料の論争もふくめてたどる。
歴史

なぜ地図は「北が上」なのか——方位の標準化と、そうでない地図の歴史

地図の北が上なのを私たちは当たり前と思っていますが、国土地理院でさえ「確たる定説はない」としています。中世ヨーロッパでは東が上、イスラム圏では南が上。方位が北へそろっていった歴史と、いまも残る「逆さ地図」をたどります。
歴史

兵庫県はなぜ五つの国からできているのか——摂津・播磨・但馬・丹波・淡路と、神戸を分ける国境

神戸市は一つの市でありながら、須磨と垂水のあいだで摂津国と播磨国に分かれている。その境は古代の大化の改新までさかのぼり、いまも区境に残る。さらに兵庫県は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路という五国の寄せ集め——歴史も風土も違う土地が一県になった理由は、神戸港にあった。
歴史

西国街道とは何だったのか——山陽道の別名と、国道2号に重なる神戸・兵庫の道

神戸の街なかを貫く国道2号は、その多くが江戸時代の西国街道と重なっている。古代の山陽道を引き継いだこの脇街道は、名前すら一定しない不思議な道だった。兵庫津では繁栄ゆえに直角に折れ曲がる。神戸・兵庫を通った西国街道の来歴をたどる。
言葉

句読点はいつ生まれたのか——奈良時代の一点から、「マルハラ」の令和まで

句点や読点の打ち方を定めた法律は、実は存在しません。奈良時代の写本に残る一点、宗教儀礼の符号、蘭学者が伝えたコンマとピリオド、明治の「句読法案」、令和の公用文改定を経てもなお、句読点に唯一の正解はない。その空白が2024年、「マルハラ」という新しい言葉を生みました。
言葉

「お」はいつから丁寧語になったのか——「大御」から「お酒」へ、うすれていく敬意

お酒、お料理、おにぎり。私たちは一日に何度も「お」を付けます。でもこの「お」、もとは天皇や神仏に向ける最上級の敬語でした。「大御(おほみ)」から始まった重い敬意が、千年かけてどう軽くなり、ついには言葉を美しく見せるだけの「美化語」になったのか。その道のりをたどります。
言葉

地名に残る港の言葉——「津」「泊」「浦」「湊」が描く海の地図

大津、博多、津々浦々——日本の地名には、船が泊まった場所を指す古い言葉がいくつも残っています。「津」「泊」「浦」「湊」。よく似た意味の四語が、地図の上ではきれいに違う場所に散らばる。その分布をたどると、古代の海の道がうっすら浮かび上がってきます。
歴史

六甲山はなぜハイキングの山になったのか——神戸の外国人が開き、市民の日課になった山歩き

神戸の市街地のすぐ北にそびえる六甲山は、休日も平日の早朝もハイカーでにぎわう山です。なぜここまで「登る山」になったのか。港を開いた神戸にやってきた外国人が別荘やゴルフ場を開き、毎朝山に登る習慣まで持ち込み、それを市民が受け継いでいった歴史をたどります。
歴史

阪神間モダニズムとは何だったのか——私鉄が郊外に育てた、洋館と洋装の生活文化

芦屋や夙川を歩くと、白壁に赤瓦の古い洋館がふいに現れます。なぜ大阪と神戸のあいだのこの一帯に、洋館が集まっているのか。大正から昭和の初めにかけて、阪神電鉄や阪急が郊外の丘に住宅地を開き、洋館に住み洋服を着る新しい暮らしが花開きました。「阪神間モダニズム」と呼ばれた文化圏が、どんな地理と鉄道と人の上に成り立っていたのかをたどります。