文化史

歴史

神戸はなぜ「港町」になったのか——深い海と、清盛から続く港の記憶

神戸が港町になったのは偶然ではない。背後に六甲がせまり岸からすぐ深くなる海、和田岬が風をさえぎる穏やかさ、干満差の小ささ——天然の良港の条件がそろっていた。さらに畿内に近い立地、平清盛の大輪田泊から続く千年の蓄積、そして条約の「兵庫」が隣の「神戸」へずれた幕末の事情が重なった経緯をたどる。
言葉

日本語の数え方はなぜ複雑なのか——和語と漢語、形と命で分かれる単位

鉛筆は1本、紙は1枚、犬は1匹、鳥は1羽。日本語の数え方は、ものの形や性質によって単位を変える。その種類は一説に約500種類。和語と漢語の二系統が混ざり、牛が「頭」になったのは明治以降、ウサギが「羽」の理由には決め手がない。複雑さの正体を、由来と諸説からたどる。
歴史

処女塚古墳——豪族の墓に、菟原処女の悲恋が重なるまで

神戸市東灘区の石屋川べりに残る処女塚古墳は、万葉集に詠まれた菟原処女の悲恋伝説の舞台として知られます。けれど発掘が語る実態は、山陰系の土器をもつ3世紀後半の豪族の墓でした。被葬者の名が失われた塚に、東西の求女塚と並ぶ「見立て」から物語が宿り、大和物語や森鷗外へと書き継がれていきます。
歴史

生田神社と一宮から八宮——「神戸」と「三宮」、地名を生んだ古社と八つの裔社

神戸の繁華街「三宮」は三宮神社に、市の名「神戸」は生田神社の社領「神戸(かんべ)」に由来します。一宮から八宮まで番号のついた社がそろって残るのは全国で神戸だけとされ、節分にはこの八社をめぐる風習が続いています。地名のいたるところに古社の影が差す、神戸の成り立ちをたどります。
歴史

五色塚古墳はなぜ海を向いているのか——海の道に向けて築かれた、被葬者不明の巨大墳

神戸の住宅街に突然現れる全長194メートルの前方後円墳。兵庫県最大の五色塚古墳は、平野ではなく明石海峡を見下ろす台地の端に、海へ向けて築かれている。葺石は対岸の淡路島から運ばれ、その事実は日本書紀の伝承とも響き合う。日本初の復元古墳でありながら、被葬者も埋葬施設の場所も、いまだ謎のままだ。
歴史

灘五郷はいつから「五郷」になったのか——数がそろった江戸、顔ぶれが決まった明治

現在の「灘五郷」の顔ぶれが決まったのは明治19年。けれど「五郷」という数そのものは、江戸後期にはもうそろっていた。宮水・水車精米・丹波杜氏・樽廻船という条件が重なり、灘が「江戸の酒の8割」を担うまでになった形成史を、いつ何が決まったのかに注目してたどる。
歴史

本住吉神社はなぜ「本」を名乗るのか——日本書紀の地名と、延喜式に載らない元宮の主張

神戸市東灘区の本住吉神社は、大阪の住吉大社に対して「うちが元宮だ」と主張する小さな社です。根拠は日本書紀の「大津渟中倉之長峡」の解釈で、廣田・生田・長田と並ぶ立地や本居宣長の支持を挙げます。一方で延喜式神名帳に名がないという不利もあり、1800年の元宮論争は今も決着していません。