地図を広げれば、ふつう北が上にある。学校の地図帳も、スマホの地図も、駅前の案内板も、たいていそうなっています。あまりに当たり前で、なぜそうなのかを考えることはほとんどありません。ところが、国土地理院が公開している地図のFAQをのぞくと、少し拍子抜けすることが書いてあります。地図の上方を北にする理由には、はっきりした定説がない、というのです。
「北が上」に決まりはない
地図の方位は、物理法則で決まっているわけではありません。北を上にしなければ地図が成り立たない、という理屈はどこにもありません。
国土地理院は、北を上にする確たる理由には定説がないとしたうえで、各国の地図がほぼ北を上にしているのは「磁石が北を指す」「北極星を使うときに便利」といった実用上の都合が背景にあるのではないか、という説を紹介しています。同じ地理院でも、東京周辺や札幌周辺では方位を少し傾けた地図を作ることがあり、その場合は方位記号や経緯線を添えるそうです。オーストラリアでは、上を南にした地図が作られた例もある、と書かれています。
北が上というのは、便利だから広く使われている約束事であって、正解ではない。約束事なら、別の約束もありえたはずです。実際、歴史をさかのぼると、地図の「上」はずいぶんばらばらでした。
上が東だった地図
中世ヨーロッパで広く使われた世界図に、「TO図」と呼ばれるものがあります。円(O)の内側を、地中海・ナイル川・ドン川にあたるT字の水域で三つに区切り、上半分にアジア、左下にヨーロッパ、右下にアフリカを配置します。形は素朴ですが、ここで上に来るのは北ではありません。東です。
理由は信仰にありました。キリスト教では、楽園であるエデンの園は東にあると考えられていました。だから太陽が昇る東を地図の上に据え、聖地エルサレムを中心に置いたのです。TO図は7世紀のセビリャのイシドルスの著作にあらわれ、8世紀のベアトゥスらが代表的な図を描き、記録のうえでは11世紀から16世紀ごろまで使われ続けたとされています。このTO図やマッパ・ムンディの系統では、地図の「上」は長く東に置かれました。もっとも、中世ヨーロッパの地図がすべて東を上にしていたわけではなく、航海用のポルトラーノ海図のように向きがまちまちのものもあります。
調べていて面白かったのは、英語で地図の向きを合わせることを orient というのですが、この語がもともと「東に向ける」を意味していたという点です。ラテン語の oriens は太陽が昇る場所、つまり東を指す言葉でした。教会の祭壇を東向きに建てることも、かつては orient と呼ばれました。「正しい方向に置く」ことと「東に向ける」ことが、ほとんど同じ意味だった時代の感覚が、言葉のほうに化石のように残っています。
南を上に、北を上に
方位の取り方は、文化によっても変わります。
12世紀、シチリア王ルッジェーロ2世に仕えた地理学者イドリーシーが作った世界図「タブラ・ロジェリアナ」は、南が上に描かれています。イスラム圏の地図に見られる流儀で、聖地メッカをなるべく上の側に置くためだったと見られています。
いっぽう中国の古地図は、北が上のものが多くなっています。皇帝が南を向いて座る「南面」の習わしから、臣下が皇帝を見上げる形に合わせて北を上にした、という説明がよくなされます。同じ「神聖な方向を上に」という発想でも、それが東になったり、南になったり、北になったりする。上の取り方は、その社会が何を上位に置いていたかを、わりと正直に映していました。
北へ収束したのはいつか
では、いまの「北が上」はどこから来たのでしょうか。
糸口の一つは古代にあります。2世紀のプトレマイオスは、著書『地理学(ゲオグラフィア)』のなかで、地球の円周を360度に分けた経緯線を使い、北を上にした地図を描きました。位置を緯度と経度で決めるという、近代地図につながる考え方です。円を360度に分け、1度を60分とする数え方そのものは、さらに古いバビロニアの天文観測にさかのぼると説明されています。
ただ、北が上という形が広く定着したのは、もっと後のことでした。大航海時代に入ると、正確な海図が航海の生命線になります。船乗りは北極星と羅針盤で北を確かめながら進みました。北を基準に世界を見るなら、地図も北を上にそろえておくほうが扱いやすい。北を上にした地図そのものは、プトレマイオスの図や中世の海図など、メルカトル以前から作られていました。16世紀後半に広まったメルカトルの図法も、図法じたいが北を上と決めるわけではありませんが、北を上にそろえる流れを後押しした一例として挙げられます。どれか一つが決め手になったというより、便利さの積み重ねがゆるやかに標準を作っていった、と言ったほうが近いのかもしれません。
その「北」も一つではない
ややこしいのは、ここでいう「北」が一つではないことです。
地図の真上が指すのは真北。これに対して、方位磁石が指すのは磁北で、両者はぴったり一致しません。国土地理院によれば、そのずれは場所によって変わり、札幌で約9度、那覇で約5度ほどあるといいます。だから登山用の地形図には、磁北の向きを示す磁北線がわざわざ引いてある。地図の上を北にそろえても、手元のコンパスが指す北とは、少し角度がずれているわけです。
上が南の地図は、いまもある
北が上が「普通」になったあとも、あえて別の上を選ぶ地図は消えていません。
富山県が作った「環日本海・東アジア諸国図」、通称「逆さ地図」がその一つです。日本列島の南北をひっくり返し、大陸の側から日本海を見下ろすように描きます。富山県が企画し、1994年に調製、翌年から販売され、2012年に改版されています。富山県庁を中心とする図法で、富山から見た方位と距離が正しく出るように作られています。
発想のもとには、作家の五木寛之が地図を逆さに焼いてみたという話があったそうです。当時の中沖豊知事は「地図をさかさまにしてみると富山が日本の中心だ」と語りました。歴史家の網野善彦は、この地図を見れば、海に隔てられた「孤立した島国」という日本像が虚像であることが誰の目にも明らかになる、と評しています。
上を北にすると、世界はこう見えてきます。その見え方に私たちはすっかり慣れていますが、地図の歴史も、富山の一枚も、それが唯一の正解ではないことを示しています。上をどちらに取るかで、真ん中に来る場所は入れ替わる。いまの「北が上」は、便利さに選ばれて標準の座にいるだけ、とも言えそうです。
参考・出典
- 国土地理院「地図に関するQ&A(Q3.11 地図の上方はなぜ北なのですか)」 https://www.gsi.go.jp/kohokocho/FAQ3.html
- 国土地理院「方位や磁北を知る|地理院地図の使い方」 https://maps.gsi.go.jp/help/intro/school/houijihoku.html
- 日本地図センター「地図のQ&A」 https://www.jmc.or.jp/keihatsu-kyouiku/faq/faq-map-list/faq-map-page2/
- 帝国書院「緯度・経度の起源は何ですか。なぜ1度=60分なのですか。」 https://www.teikokushoin.co.jp/junior/faq/detail/100/
- 笹川平和財団 海洋政策研究所「さかさ地図の発想と日本海学」(Ocean Newsletter) https://www.spf.org/opri/newsletter/80_3.html
- ウィキペディア「初期の世界地図」 https://ja.wikipedia.org/wiki/初期の世界地図
- ウィキペディア「TO図」 https://ja.wikipedia.org/wiki/TO図
- ウィキペディア「環日本海諸国図」 https://ja.wikipedia.org/wiki/環日本海諸国図


