食文化

歴史

コーヒーはなぜ世界飲料になったのか——伝播・禁止・近代化の軌跡

コーヒーは広まるそばから何度も禁じられました。メッカでは異端の飲み物として弾圧され、ヨーロッパでは「悪魔の飲み物」と疑われ、ロンドンでは国王が店を閉じさせようとしています。エチオピアの1本の低木の実が、禁止と復活を繰り返しながら国際商品になるまで。為政者が本当に恐れたのは豆ではなく、人が集まる場所のほうでした。
言葉

「お」はいつから丁寧語になったのか——「大御」から「お酒」へ、うすれていく敬意

お酒、お料理、おにぎり。私たちは一日に何度も「お」を付けます。でもこの「お」、もとは天皇や神仏に向ける最上級の敬語でした。「大御(おほみ)」から始まった重い敬意が、千年かけてどう軽くなり、ついには言葉を美しく見せるだけの「美化語」になったのか。その道のりをたどります。
歴史

灘の酒はなぜ「辛口」なのか——宮水の硬さと、江戸がえらんだ味

菊正宗も白鶴も、灘の酒はそろって「辛口」を看板にします。その辛さは、西宮で湧く硬い水「宮水」の化学と、はるばる江戸まで運ばれた市場の事情が重なって生まれたものでした。水を入れ替えて味の謎を突き止めた酒蔵の話から、樽廻船が運んだ年間100万樽の酒まで、灘が「男酒」になった理由をたどります。
歴史

灘五郷はいつから「五郷」になったのか——数がそろった江戸、顔ぶれが決まった明治

現在の「灘五郷」の顔ぶれが決まったのは明治19年。けれど「五郷」という数そのものは、江戸後期にはもうそろっていた。宮水・水車精米・丹波杜氏・樽廻船という条件が重なり、灘が「江戸の酒の8割」を担うまでになった形成史を、いつ何が決まったのかに注目してたどる。