神話・伝説

歴史

菟原処女伝説はどう変容したのか——万葉の挽歌から能・鷗外へ、書き換えられた娘の死

二人の男に求婚され、選べずに死んだ娘。神戸・東灘の処女塚古墳に重ねられた菟原処女の物語は、万葉集の挽歌から『大和物語』、能『求塚』、森鷗外の戯曲へと1200年かけて語り直されてきました。骨組みは変わらないのに、娘の死の理由と意味だけが時代ごとに書き換えられていく。その変容をたどります。
歴史

処女塚古墳——豪族の墓に、菟原処女の悲恋が重なるまで

神戸市東灘区の石屋川べりに残る処女塚古墳は、万葉集に詠まれた菟原処女の悲恋伝説の舞台として知られます。けれど発掘が語る実態は、山陰系の土器をもつ3世紀後半の豪族の墓でした。被葬者の名が失われた塚に、東西の求女塚と並ぶ「見立て」から物語が宿り、大和物語や森鷗外へと書き継がれていきます。