インターネットはなぜ止まらないのか——分散設計と冗長性の思想

インターネットはなぜ止まらないのか——分散設計と冗長性の思想 技術

海底ケーブルが1本切れても、どこかのデータセンターが火を噴いても、私たちのスマートフォンはたいてい何事もなかったように動き続けます。世界のどこかでは、いまこの瞬間にも回線がどこか切れているはずなのに、インターネット全体が一斉に沈黙することは、めったにありません。

もっとも、「絶対に止まらない」と言い切れるわけではありません。2025年11月には大手のCDN事業者Cloudflareで障害が起き、世界中の多くのサイトが一時的に開けなくなりました。それでも、インターネットという仕組みが全体として驚くほど落ちにくいのは確かです。なぜそうなっているのか。これは技術というより、ある設計思想の話です。インターネットは最初から、「壊れることを前提に、それでも生き残るように」作られてきました。

核攻撃を生き延びる網

話は1960年代前半、冷戦のさなかにさかのぼります。

アメリカのシンクタンク、ランド研究所にいたポール・バランは、核攻撃を受けても機能を失わない通信網を研究していました。当時の電話網は中央の交換局に依存していて、急所を一発叩かれれば広い範囲が麻痺します。バランの答えは、中心を持たないネットワークでした。Internet Hall of Fame の彼の紹介によれば、バランは情報を「メッセージブロック」と呼ぶ小さなかたまりに分割し、網の目のように張り巡らせた経路の、空いているところを伝わせて送る方式を考えます。1964年に「On Distributed Communications」としてまとめられたこの構想が、後のインターネットの背骨になりました。

ほぼ同じころ、イギリスの国立物理学研究所にいたドナルド・デイヴィスが、まったく独立に同じ発想にたどり着いていました。彼はこの細切れのデータを「パケット(packet)」と名づけます。英語以外の言語にも訳しやすい語を、と言語学者に相談して選んだ言葉でした。今わたしたちが当たり前に使う「パケット」は、このとき生まれています。

ここで、よくある誤解を一つほどいておきます。「インターネットは核戦争に備えて作られた」という説明を聞いたことがあるかもしれません。これは半分正しく、半分ずれています。核攻撃への生存性をはっきり動機にしていたのは、あくまでバランのランド研究所での研究のほうでした。後に実際に作られたARPANET(後述)の構築目的は、高価な計算機を遠隔で共有することなどにあって、軍事的な生き残りが第一に掲げられていたわけではない、とされます。核に耐えるという動機はバランの研究にあり、ARPANETはそこから分散の発想だけを受け継いだ。出どころと実装は、分けて見ておく必要があります。

経路は一つでなくていい

バランやデイヴィスの発想の核心は、「経路を固定しない」という一点に尽きます。

それまでの電話は回線交換でした。話している間じゅう、相手とのあいだに1本の専用の道をつなぎっぱなしにする方式です。途中のどこかが切れれば、その通話は終わりです。対してパケット交換では、データを小さなパケットに割って、それぞれを別々に送り出します。各パケットは宛先の住所だけを持っていて、途中の中継点が「次はこっちが空いている」と判断しながら、宛先に近いほうへ手渡していく。だから、ある経路が落ちても、パケットは別の道を選び直して届きます。途中のノードがいくつ倒れようと、空いている経路さえ残っていれば、データは回り道をして到達します。

理論面を支えたのが、レナード・クラインロックの待ち行列理論でした。データがネットワークの中でどう詰まり、どう流れるかを数学的に扱う仕事です。そして1969年、彼のいたカリフォルニア大学ロサンゼルス校に、ARPANET最初のノードが置かれます。

Britannica の解説に、よく知られた逸話が残っています。同年10月29日、クラインロックの学生がスタンフォード研究所へ最初のメッセージを送ろうとしました。打とうとしたのは「login」。ところが「lo」と入れたところで接続が落ちてしまい、記念すべき最初の通信は「lo」の2文字きりになりました。生き延びるために設計されたネットワークの第一声が、いきなりの接続断だったというのは、なんだか出来すぎた話に思えます。

TCP/IPと相互接続

ARPANETは育っていきますが、別々に作られたネットワーク同士をどうつなぐか、という新しい課題が出てきます。

ここで登場するのが、ロバート・カーンとヴィント・サーフです。1970年代前半、彼らは個々のネットワークが自立したまま相互につながる「オープンアーキテクチャ」という考え方を打ち出し、その通信規約としてTCPの原型を1973年から74年にかけて設計しました。1983年1月1日、ARPANETは古い方式から一斉にTCP/IPへ切り替えます。約400台のホストを巻き込んだこの「フラッグデイ」を境に、相互接続されたネットワーク群、すなわち今日の意味での「インターネット」が立ち上がりました。

この設計を貫く哲学は、後に文章としても明文化されています。1996年のRFC 1958「Architectural Principles of the Internet」は、こう述べています。ネットワークの賢さは中央に隠さず、端から端(end to end)に置く。そして印象的な一節が続きます——「幸いにも、インターネットは誰のものでもなく、中央制御は存在せず、誰もそれを止めることはできない」。賢い処理は通信網の真ん中ではなく、その両端、つまり利用者側のコンピュータに置く。真ん中を通っていくのは、ひたすらパケットだけです。

ネットワークのネットワーク

「インターネット」は、しばしば「ネットワークのネットワーク」と呼ばれます。これは比喩ではなく、構造そのものの説明です。

インターネットは、自律システム(AS)と呼ばれる数十万のかたまりに分かれています。一つのASは、ある事業者や組織が自分の責任で運用するルータの集まりで、それぞれ固有の番号を持ちます。この番号は、IANAという組織から世界5つの地域レジストリへ配られ、そこから各組織へと割り当てられます。当初の16ビットの番号が足りなくなり、2007年からは桁を増やした32ビットの番号も使われるようになりました。割り当て済みのAS番号は、近年で十数万にのぼります。

そのAS同士が経路情報をやり取りする仕組みが、BGPというプロトコルです。「どのネットワークへ行くにはどの隣を通ればいいか」を、AS同士が常に教え合っている。どこかの経路が消えても、BGPが別の道を見つけて広め直す。誰か一人が全体の地図を管理しているわけではありません。無数の自律したネットワークが互いの情報を持ち寄り、全体像を絶えず描き直しています。

海底ケーブルとルートサーバ

ここまでは論理の話でしたが、土台になる物理層にも同じ思想が貫かれています。

大陸と大陸は、海底ケーブルで結ばれています。1本に頼っていれば切れたときに困るので、主要な区間は複数のケーブルで多重化され、1本が漁船の錨や海底地震で切れても、残りが肩代わりするようになっています。陸に上がってからも、事業者同士が相互接続するIXP(インターネット・エクスチェンジ)などを介して、経路はいくつにも枝分かれしています。

冗長性の見事な例が、DNSのルートサーバです。インターネットの住所録の大もとにあたるこの仕組みは、論理的には13の識別子しか持ちません。ところが実際には、エニーキャストという技術で同じアドレスを世界中の千数百台のサーバに共有させ、利用者からは「いちばん近い1台」に自動的につながるようにしてあります。2002年と2007年にルートサーバへの大規模なDDoS攻撃が起きたときも、この分散のおかげで負荷がばらけ、システム全体は機能を保ったと記録されています。攻撃を一身に受ける「中心の1台」が、そもそも存在しないのです。今のCDNが世界中のエッジサーバにコンテンツを配って負荷を散らすのも、根っこは同じ考え方です。

それでも止まるとき

では、インターネットは本当に「誰にも止められない」のか。現実はもう少し込み入っています。

冒頭のCloudflareの障害が、いい例です。同社のブログによる説明では、2025年11月18日の障害はサイバー攻撃ではなく、内部のデータベースの設定変更がきっかけでした。ある機能の設定ファイルが想定外に肥大化してメモリの上限を超え、処理が次々に倒れていった。原因がわかって全面復旧するまで、5時間あまりかかっています。Cloudflareは世界のウェブの相当部分を中継しているため、その不調がそのまま広い範囲のサービス停止に直結しました。

皮肉な構図です。中央を持たないように設計されたインターネットの上で、特定の巨大事業者にトラフィックが集中し、新しい「急所」が生まれている。経路の自律的な切り替えは、ケーブルの切断やノードの故障には強い。けれど、多くのサービスが頼る1社の設定ミスのような、論理の上流での事故には、必ずしも強くありません。バランが潰そうとした「中心」が、形を変えて戻ってきているとも言えます。

それでも、地球規模のネットワークが日々これだけの障害を吸収しながら動き続けているのは、やはり、最初に「壊れる前提で作る」と決めた設計の底力でしょう。完璧に止まらない仕組みではなく、止まっても全部は道連れにしない仕組み。半世紀前の設計者たちが目指したのは、そういう頑丈さでした。

参考・出典

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