文化史

言葉

句読点はいつ生まれたのか——奈良時代の一点から、「マルハラ」の令和まで

句点や読点の打ち方を定めた法律は、実は存在しません。奈良時代の写本に残る一点、宗教儀礼の符号、蘭学者が伝えたコンマとピリオド、明治の「句読法案」、令和の公用文改定を経てもなお、句読点に唯一の正解はない。その空白が2024年、「マルハラ」という新しい言葉を生みました。
言葉

「お」はいつから丁寧語になったのか——「大御」から「お酒」へ、うすれていく敬意

お酒、お料理、おにぎり。私たちは一日に何度も「お」を付けます。でもこの「お」、もとは天皇や神仏に向ける最上級の敬語でした。「大御(おほみ)」から始まった重い敬意が、千年かけてどう軽くなり、ついには言葉を美しく見せるだけの「美化語」になったのか。その道のりをたどります。
言葉

地名に残る港の言葉——「津」「泊」「浦」「湊」が描く海の地図

大津、博多、津々浦々——日本の地名には、船が泊まった場所を指す古い言葉がいくつも残っています。「津」「泊」「浦」「湊」。よく似た意味の四語が、地図の上ではきれいに違う場所に散らばる。その分布をたどると、古代の海の道がうっすら浮かび上がってきます。
歴史

六甲山はなぜハイキングの山になったのか——神戸の外国人が開き、市民の日課になった山歩き

神戸の市街地のすぐ北にそびえる六甲山は、休日も平日の早朝もハイカーでにぎわう山です。なぜここまで「登る山」になったのか。港を開いた神戸にやってきた外国人が別荘やゴルフ場を開き、毎朝山に登る習慣まで持ち込み、それを市民が受け継いでいった歴史をたどります。
歴史

阪神間モダニズムとは何だったのか——私鉄が郊外に育てた、洋館と洋装の生活文化

芦屋や夙川を歩くと、白壁に赤瓦の古い洋館がふいに現れます。なぜ大阪と神戸のあいだのこの一帯に、洋館が集まっているのか。大正から昭和の初めにかけて、阪神電鉄や阪急が郊外の丘に住宅地を開き、洋館に住み洋服を着る新しい暮らしが花開きました。「阪神間モダニズム」と呼ばれた文化圏が、どんな地理と鉄道と人の上に成り立っていたのかをたどります。
歴史

神戸の外国人居留地はなぜあそこにできたのか——「兵庫開港」と呼ばれた、3.5キロ東の砂地

開国のとき外国に開かれたのは、当然「神戸」だった——そう思いがちですが、幕府が条約で約束した開港地は神戸ではなく「兵庫」でした。しかも実際の外国人居留地が築かれたのは、その兵庫の中心から東へ3.5キロ離れた砂地の神戸村。京都に近い港を嫌った朝廷、水深を測った英国公使、上海帰りの技師が引いた碁盤の目——「兵庫開港」と呼ばれながら神戸にできた居留地の理由をたどります。
歴史

和暦と元号——吉凶で改め、最後は法律で残した

「令和」で日本はおよそ248番目(数え方では232とも)の元号を迎えました。もとは古代中国で皇帝が時間まで支配する装置として生まれ、日本では645年の「大化」に始まります。めでたい瑞兆でも、災害や疫病でも、干支の巡りでも改元してきた歴史、明治の一世一元、戦後にいったん法的根拠を失い1979年の元号法で残った経緯、そして「永」が29回も選ばれた2字の縁起までをたどります。
技術

コンクリートはなぜ1000年もつのか——欠陥とされた石灰の粒が、ひびをふさぐ

古代ローマのコンクリートは2,000年経っても崩れず、海中の防波堤はむしろ強くなっています。一方、現代の鉄筋コンクリートの寿命は50〜100年ほど。この差はどこから来るのでしょうか。長く欠陥と見られてきた「石灰の白い粒」が、じつはひびを自分でふさぐ自己修復の鍵だった——2023年のMITの研究を入り口に、海水が育てる鉱物、現代コンクリートが鉄筋とともに朽ちる仕組み、そして速さと寿命のトレードオフまでをたどります。
言葉

カタカナ語はなぜ定着するものと消えるものがあるのか——クラスターは残り、オーバーシュートは消えた

新しいカタカナ語は次々と生まれますが、定着して辞書に残るものと、数年で消えるものがあります。両者を分けるのは何でしょうか。コロナ禍の「クラスター」と「オーバーシュート」の明暗を入り口に、言い換えがきかない・語彙の中に居場所がある・日本語の口に合う長さに縮む・意味が育つ、といった生き残りの条件をたどります。戦時中の敵性語排斥や国立国語研究所の言い換え提案からは、言葉を上から操作することの難しさも見えてきます。
歴史

「天皇」はいつ生まれたのか——「大王」から改めた7世紀と、定説を動かした木簡

「天皇」という称号は最初からあったわけではありません。7世紀まで、日本の王は「大王(オオキミ)」と呼ばれていました。いつ「天皇」へ変わったのかは長く論争で、推古朝説と天武朝説が対立してきました。流れを変えたのが飛鳥池遺跡から出た木簡です。遣隋使の国書、唐の高宗、道教の北極星、そして律令と明治の法制化まで、一つの称号が生まれ定着するまでをたどります。