句読点はいつ生まれたのか——奈良時代の一点から、「マルハラ」の令和まで

句読点はいつ生まれたのか——奈良時代の一点から、「マルハラ」の令和まで 言葉

「、」と「。」——打つときにいちいち意味を考える人はいないでしょう。ところが2024年、この二つの記号のうち片方だけが、突然「怖い」と言われるようになりました。LINEの文末に句点を打つと、若い世代から「怒っているみたいで怖い」と受け取られます。ネットで「マルハラ」と呼ばれたこの現象は、放送から数日で検索数が跳ね上がるほどの話題になりました。

なぜ、ただの記号が人の感情を動かすのか。理由をたどっていくと、句読点という記号自体が、実はいまだに公式の決まりを持たない、ひどく頼りない存在であることに行き当たります。

奈良の一点

句読点がいつからあるのか、答えはひとつではありません。ただ、かなり早い段階から、文字の隙間に小さな印を挟む工夫はあったようです。

国立国会図書館のレファレンス記録によれば、日本での使用例は奈良時代まで遡り、『文選 李善注』の写本に「、」が見られるといいます。書誌学者の山口謠司氏の解説では、この符号は天平17年(745年)以前の写本にすでに現れており、828年に書かれた『成実論』の写本にも、文の終わりには字の右下に、意味の区切りには左下に点を置くという、書き分けの跡が残っているとされます。

「句読点」と呼べるほどの体系ではありません。それでも区切りたいという意識は、約1,300年前にはすでにあったわけです。

平安時代に入ると、漢文を日本語の語順で読み下すための符号、ヲコト点が広まります。漢字の四隅や周辺のどこに点を打つかで「を」「こと」といった助詞・助動詞を表す仕組みで、流派によって打ち方がまるで違いました。自分の流儀を他派に知られまいと、半ば秘伝のように扱われた時期もあったといいます。秘伝として抱え込まれていたと知ると、読解の助けにしては大仰な話だと感じます。

経典と正確さ

鎌倉から室町にかけては、また別の場所で句読点が育ちます。仏教の経典です。

法然や親鸞の流れをくむ浄土系の宗派では、「・」のような符号を経典に書き加え、信者が声に出して読むときに読み違えないよう工夫しました。ここでの符号の役目は、読みやすさというより、教えを正確に伝えることに近かったはずです。一文字の読み違いが、教えの意味そのものを変えてしまいます。

江戸の印刷、揃わない符号

活字による出版が広がった江戸時代には、版本にテンやマルらしき符号がぽつぽつ現れます。とはいえ統一された規則があったわけではなく、テンだけの本、マルだけの本、「・」のような今では見ない印を交ぜた本と、書き手や版元の判断はまちまちでした。

この時期の評価は、専門家のあいだでも割れています。山口氏は、寛永期の印刷技術の発達によって、江戸初期にはすでにほぼ完成形の「てんまる」があったと主張しています。一方で、句読点が誰にとっても同じ意味を持つ、きちんとした記号として使われ始めるのは明治以降だ、とする見方も根強くあります。

なぜ、それで読めたのか。

理由のひとつは、音読が生活の基本にあったことです。黙って目で追うより、声に出して耳で追う場面のほうが多い時代でした。

コンマとピリオドの伝来

日本語の句読点に大きな転機が訪れたのは明治です。西洋の書物には、ピリオドやコンマが整然と並んでいました。

蘭学者の大槻玄沢は、1788年の『蘭学階梯』下巻で、コンマやピリオドを含む6種の符号の使い方をすでに紹介しています。ただ、この段階ではまだ蘭学者という一部の知識人の話にすぎません。転機になったのは、翻訳や学校教育を通じて、大勢の書き手が西洋の文章と日々向き合うようになったことでした。

句読法案

1904年の「国定読本編纂趣意書」に続き、1906年3月、文部大臣官房図書課は「句読法案」をまとめます。国定教科書の句読点の基準として作られたもので、国が句読点の打ち方の標準を公に示した最初の文書です。

とはいえ、基準ができたからといって、すぐに書き手の感覚がそろったわけではありません。芥川龍之介は自分たちの世代を「句読点の原則すら確立せざる言語上の暗黒時代」に生まれた、と評しています。

教室の答案に残った変化

この移り変わりを裏づける、思いがけない史料があります。子どもの作文です。

坂井晶子氏が明治・大正期の初等教育を調べた研究によれば、明治30年代の児童作文は句読点をまったく使わないか、1種類しか使わないものが大半でした。それが明治40年代になると、現行に近い使い分けをするものが急速に多数派へ変わり、大正期のあいだに定着していきます。同じ研究で目を引くのは、句読点が文字を書いたあとの後付けの修正ではなく、文字とほぼ同じタイミングで打たれていた、という指摘です。

読点が「,」だった70年

制度としての句読点は、ここで終わりません。むしろ、話はねじれます。

1946年、文部省は「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」をまとめ、横書きではテンの代わりにコンマ「,」を用いると定めました。1952年の「公用文作成の要領」もこれを引き継ぎ、役所の横書き文書は長く「,」を使い続けます。70年近く生きた公式の作法でした。

向きが変わったのは、ごく最近です。2022年1月、文化審議会は「公用文作成の考え方」を建議し、横書きの読点は原則として「、」を用いる、と改めました。伝統的に「,」が定着している分野では引き続き使ってよいものの、一つの文書内でどちらかに統一することが求められます。

決まった打ち方はない

ここで見落とせない事実があります。これだけ制度が積み重なっても、読点をどこに打つかを縛る厳密な規則は、いまも存在しません。明治の「句読法案」も、戦後の「くぎり符号の使ひ方」も、正式に法制化されることなく「案」のまま今日に至ります。教科書や公用文がそれを参考にしてきた、というのが実態です。

国立国語研究所は、読点の主な役割として、文の切れ目を示す用法と、副詞的な語句の前後を区切る用法の二つを挙げています。あわせて、修飾する語とされる語の距離が離れているほど読点が打たれやすい、という調査結果も紹介されています。ただし、これらはあくまで目安です。同じ内容でも書き手によって打つ数は大きく変わり、「これが正解」と言える単一の打ち方はない、というのが研究所の立場です。

句点が「怖い」と言われる時代

正解のなさは、これまで書き手同士の好みの違いで済んでいました。ところがLINEやXでのやり取りが日常になると、話が変わってきます。

お茶の水女子大学の加納なおみ氏らは、2017年の論文で、大学生のLINEメッセージにおける句点の使われ方をすでに調査の対象にしています。マルハラが話題になる7年も前から、句点は紙の文章とは違うふるまいを見せ始めていた、ということなのでしょう。2024年、句点をめぐる感覚のずれは「マルハラ」という名前を得て、一気に社会の話題になります。1月28日放送のテレビ番組で紹介された造語が、翌月のネット記事化をきっかけに広まったといいます。若い世代がLINEやXで句点を省く一方、大人世代が句点を打つと「怒っている」「冷たい」と受け取られる——そんな世代差を指す言葉でした。

正直、この温度差の大きさには驚かされます。ただし、話はそう単純でもないようです。東京大学の鳥海不二夫氏が大阪大学の三浦麻子氏と行った調査では、「マルハラ」という言葉自体の認知度は世代を問わずおよそ5割にとどまり、若い世代の7割は句点にほとんど威圧感を感じないと回答しました。鳥海氏は、「句読点イコールハラスメント」と言い切るのは行き過ぎで、メディアの見出しが実態以上に誇張した面がある、と指摘しています。句読点の成立史を解説してきた岩崎拓也氏も、マルハラは単なる世代間ギャップの問題だと述べています。

句点ひとつにも、まだ法律にも学習指導要領にも、打ち方の正解は書き込まれていません。恥ずかしながら、この記事を書きながら句点を打つ手が一瞬止まった箇所が何度かありました。

参考・出典

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