日本史

言葉

「標準語」はいつ生まれたのか——方言と共通語のあいだ

わたしたちがふだん「標準語」と呼ぶ言葉は、それほど古いものではありません。明治の国づくりのなかで、東京の教養層の話し方を手本に人工的に整えられたものでした。上田万年の主張から、方言を札で罰した時代、そして戦後に「共通語」へと呼び名が変わるまで。標準語という言葉が生まれ、やがて避けられていく経緯をたどります。
言葉

「〜的」はいつから日本語に入ったのか——明治の翻訳語が変えた語感

「科学的」「経済的」「個人的」——日常にあふれる「〜的」は、明治の翻訳語として広まった接尾辞でした。英語の形容詞語尾に音の近い漢字1字を当て、西周が使い始め、1881年の『哲学字彙』を機に学術語として定着していきます。当初は硬く嫌われもしたこの1字が、やがて「私的には」と若者言葉になるまでの来歴をたどります。
言葉

送り仮名はなぜ揺れるのか——「行う」か「行なう」か、100年の試行錯誤

「行う」と「行なう」、どちらも誤りではありません。この揺れは気まぐれではなく、100年以上の国語施策が積み重ねた結果です。少なく送った戦前、送りすぎを批判された昭和34年の告示、そして昭和48年に「本則」と「許容」という2層構造が生まれるまで。送り仮名の統一をめぐる試行錯誤と、それでも揺れが消えない理由をたどります。
言葉

「東西南北」はなぜその順番なのか——方位語の起源と世界の違い

「東西南北」と一息に唱えるあの順番は、世界共通ではありません。英語は北から時計回りに数え、麻雀の牌は東南西北。そもそも「みなみ」「きた」の語源は、辞書を引いても説が割れて定まっていない。方位を言い表す順番と言葉の由来から、それぞれの文化が何を基準に世界を眺めてきたかをたどります。
言葉

漢字はどこから来たのか——甲骨文字から新字体・簡体字まで、3000年の歩み

いま私たちが書く漢字は、3000年あまりの変身の、いちばん新しい姿にすぎません。最古の漢字「甲骨文字」は、19世紀末まで「龍骨」という漢方薬として砕かれ飲まれていた。占いの記録から始まり、絵であることをやめ、海を渡ってかなを生み、いまは国ごとに違う形で使われている。漢字の3000年をたどります。
言葉

漢字にも方言がある——「垳」という文字が教える、土地と文字の関係

埼玉県八潮市にしかない一字「垳」。土へんに「行」と書いて「がけ」と読む。字源には二つの説があり、低地の水害の記憶が刻まれている。区画整理で消えかけたこの地名を救ったのは、よその土地の人だった。一字をたどると、文字と土地の思いがけず深い関わりが見えてくる。
歴史

「○○富士」はなぜ生まれたのか——見立てと信仰が広げた、ふるさとの山

津軽富士、讃岐富士、薩摩富士——全国に300とも400ともいわれる「○○富士」。その数は今も確定せず、最も低い富士は標高35メートルしかない。形の似た独立峰に富士の名を重ねてきた、信仰と郷愁の歴史をたどる。
言葉

「敬語」はなぜ三種類では説明しきれないのか——尊敬・謙譲・丁寧と、文化庁が分けた五つ

学校で習う敬語は尊敬語・謙譲語・丁寧語の三種類。けれど文化庁が2007年にまとめた「敬語の指針」は、これを尊敬語・謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱ・丁寧語・美化語の五つに分け直しています。「伺う」と「参る」はどちらも謙譲語なのに、何が違うのか。敬語が三つに収まらない理由と、神への言葉から相互尊重へと性格を変えてきた歴史をたどります。
歴史

兵庫県はなぜ五つの国からできているのか——摂津・播磨・但馬・丹波・淡路と、神戸を分ける国境

神戸市は一つの市でありながら、須磨と垂水のあいだで摂津国と播磨国に分かれている。その境は古代の大化の改新までさかのぼり、いまも区境に残る。さらに兵庫県は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路という五国の寄せ集め——歴史も風土も違う土地が一県になった理由は、神戸港にあった。
歴史

西国街道とは何だったのか——山陽道の別名と、国道2号に重なる神戸・兵庫の道

神戸の街なかを貫く国道2号は、その多くが江戸時代の西国街道と重なっている。古代の山陽道を引き継いだこの脇街道は、名前すら一定しない不思議な道だった。兵庫津では繁栄ゆえに直角に折れ曲がる。神戸・兵庫を通った西国街道の来歴をたどる。