地理学

歴史

シルクロードとは何だったのか——「道」ではなくネットワークだった交易路

ラクダの隊商が絹を積んで中国からローマへ——そんな一本道のイメージで語られがちなシルクロード。けれど「シルクロード」という名前自体が19世紀ドイツの命名で、実態は無数の経路が網の目状に絡む交易ネットワークだった。だれも端から端まで歩いていない中継交易、ソグド商人、運ばれたのは絹より思想だったという近年の見直しまで、名前と実態のずれをたどる。
言葉

漢字にも方言がある——「垳」という文字が教える、土地と文字の関係

埼玉県八潮市にしかない一字「垳」。土へんに「行」と書いて「がけ」と読む。字源には二つの説があり、低地の水害の記憶が刻まれている。区画整理で消えかけたこの地名を救ったのは、よその土地の人だった。一字をたどると、文字と土地の思いがけず深い関わりが見えてくる。
歴史

「○○富士」はなぜ生まれたのか——見立てと信仰が広げた、ふるさとの山

津軽富士、讃岐富士、薩摩富士——全国に300とも400ともいわれる「○○富士」。その数は今も確定せず、最も低い富士は標高35メートルしかない。形の似た独立峰に富士の名を重ねてきた、信仰と郷愁の歴史をたどる。
歴史

なぜ地図は「北が上」なのか——方位の標準化と、そうでない地図の歴史

地図の北が上なのを私たちは当たり前と思っていますが、国土地理院でさえ「確たる定説はない」としています。中世ヨーロッパでは東が上、イスラム圏では南が上。方位が北へそろっていった歴史と、いまも残る「逆さ地図」をたどります。
歴史

兵庫県はなぜ五つの国からできているのか——摂津・播磨・但馬・丹波・淡路と、神戸を分ける国境

神戸市は一つの市でありながら、須磨と垂水のあいだで摂津国と播磨国に分かれている。その境は古代の大化の改新までさかのぼり、いまも区境に残る。さらに兵庫県は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路という五国の寄せ集め——歴史も風土も違う土地が一県になった理由は、神戸港にあった。
歴史

西国街道とは何だったのか——山陽道の別名と、国道2号に重なる神戸・兵庫の道

神戸の街なかを貫く国道2号は、その多くが江戸時代の西国街道と重なっている。古代の山陽道を引き継いだこの脇街道は、名前すら一定しない不思議な道だった。兵庫津では繁栄ゆえに直角に折れ曲がる。神戸・兵庫を通った西国街道の来歴をたどる。
歴史

明石の子午線はなぜ「日本標準時」の基準になったのか——標準時が先に決まり、明石は後から名乗った

「明石に子午線が通るから、東経135度が日本の標準時になった」と思われがちですが、順序は逆です。先に東経135度が標準時と決まり、その線上にたまたま明石があった。しかも線が通る町は12もある。それでも明石が「子午線のまち」になったのは、地理ではなく、1人の数学者と、自腹で標識を建てた教員たちのおかげでした。
言葉

地名に残る港の言葉——「津」「泊」「浦」「湊」が描く海の地図

大津、博多、津々浦々——日本の地名には、船が泊まった場所を指す古い言葉がいくつも残っています。「津」「泊」「浦」「湊」。よく似た意味の四語が、地図の上ではきれいに違う場所に散らばる。その分布をたどると、古代の海の道がうっすら浮かび上がってきます。
歴史

六甲山はなぜハイキングの山になったのか——神戸の外国人が開き、市民の日課になった山歩き

神戸の市街地のすぐ北にそびえる六甲山は、休日も平日の早朝もハイカーでにぎわう山です。なぜここまで「登る山」になったのか。港を開いた神戸にやってきた外国人が別荘やゴルフ場を開き、毎朝山に登る習慣まで持ち込み、それを市民が受け継いでいった歴史をたどります。
歴史

阪神間モダニズムとは何だったのか——私鉄が郊外に育てた、洋館と洋装の生活文化

芦屋や夙川を歩くと、白壁に赤瓦の古い洋館がふいに現れます。なぜ大阪と神戸のあいだのこの一帯に、洋館が集まっているのか。大正から昭和の初めにかけて、阪神電鉄や阪急が郊外の丘に住宅地を開き、洋館に住み洋服を着る新しい暮らしが花開きました。「阪神間モダニズム」と呼ばれた文化圏が、どんな地理と鉄道と人の上に成り立っていたのかをたどります。