地理学

科学

台風はなぜ日本に来るのか——高気圧のへりを回って、偏西風に捕まるまで

台風は毎年のように日本へやってきます。地図の上で気ままに蛇行しているように見えますが、その進路は偶然ではありません。貿易風で西へ流され、太平洋高気圧のへりを回り、最後は偏西風に捕まって東へ折れる——三つの風に乗る道筋に、台風自身が北西へにじり寄るクセまで重なって、あの曲線は引かれます。なぜ夏と秋で道が変わり、春や冬には来ないのか。台風の進路を決める気圧配置の構造をたどります。
歴史

神戸の外国人居留地はなぜあそこにできたのか——「兵庫開港」と呼ばれた、3.5キロ東の砂地

開国のとき外国に開かれたのは、当然「神戸」だった——そう思いがちですが、幕府が条約で約束した開港地は神戸ではなく「兵庫」でした。しかも実際の外国人居留地が築かれたのは、その兵庫の中心から東へ3.5キロ離れた砂地の神戸村。京都に近い港を嫌った朝廷、水深を測った英国公使、上海帰りの技師が引いた碁盤の目——「兵庫開港」と呼ばれながら神戸にできた居留地の理由をたどります。
歴史

平清盛はなぜ神戸に港を作ったのか——都に近い港と、海に沈めた経文の石

平清盛は私財を投じて神戸の港・大輪田泊を整えました。船を悩ませた南東の風をふせぐため、海に石を沈めて人工島まで築いています。狙いは、宋の船を博多で止めず瀬戸内海の奥、都のすぐ近くまで引き込むこと。法皇に宋人を引き合わせて貴族を仰天させた賭けから、福原遷都の夢、清盛の死後に兵庫津・神戸港へと受け継がれた港の来歴までをたどります。
歴史

神戸はなぜ「港町」になったのか——深い海と、清盛から続く港の記憶

神戸が港町になったのは偶然ではない。背後に六甲がせまり岸からすぐ深くなる海、和田岬が風をさえぎる穏やかさ、干満差の小ささ——天然の良港の条件がそろっていた。さらに畿内に近い立地、平清盛の大輪田泊から続く千年の蓄積、そして条約の「兵庫」が隣の「神戸」へずれた幕末の事情が重なった経緯をたどる。
科学

砂漠とは何か——砂ではなく乾きが決める土地と、別物の砂漠化

砂漠を決めるのは砂ではなく「乾き」。年間降水量250mm以下という物差しでは、一面の氷に覆われた南極が世界最大の砂漠になる。砂丘は砂漠の1割ほどで、成因も亜熱帯高圧帯から寒流・雨陰までさまざま。そして砂漠と砂漠化は別物——緑だった土地が痩せていく現象の構造と、サヘルの「緑の長城」までをたどる。
歴史

五色塚古墳はなぜ海を向いているのか——海の道に向けて築かれた、被葬者不明の巨大墳

神戸の住宅街に突然現れる全長194メートルの前方後円墳。兵庫県最大の五色塚古墳は、平野ではなく明石海峡を見下ろす台地の端に、海へ向けて築かれている。葺石は対岸の淡路島から運ばれ、その事実は日本書紀の伝承とも響き合う。日本初の復元古墳でありながら、被葬者も埋葬施設の場所も、いまだ謎のままだ。
言葉

旧国名はなぜ今も生き残っているのか——法令で消えなかった名前と、県境とずれる国のかたち

「信州そば」「伊予柑」「薩摩芋」——どれも明治に役割を終えたはずの旧国名を冠している。けれど令制国は、実は法令で廃止されたことが一度もない。廃藩置県で消えたのは藩であって国ではなかった。名前がしぶとく残る理由と、今の県境からはみ出す旧国境のずれをたどる。
歴史

本住吉神社はなぜ「本」を名乗るのか——日本書紀の地名と、延喜式に載らない元宮の主張

神戸市東灘区の本住吉神社は、大阪の住吉大社に対して「うちが元宮だ」と主張する小さな社です。根拠は日本書紀の「大津渟中倉之長峡」の解釈で、廣田・生田・長田と並ぶ立地や本居宣長の支持を挙げます。一方で延喜式神名帳に名がないという不利もあり、1800年の元宮論争は今も決着していません。