「難波津に咲くやこの花」。百人一首のかるた競技が始まる前、必ず詠まれる序歌の冒頭だ。仁徳天皇の即位を祝って渡来人の王仁が詠んだとされるこの一首に、「津」という文字が据えられている。梅の花の歌であり、同時に港の歌でもある。
難波津とは、難波(現在の大阪)にあった古代の港のことだ。遣隋使・遣唐使を送り出し、朝鮮半島や中国大陸からの使節を受け入れた、当時の日本で最重要の玄関口である。その港の名前が、千数百年を経てもなお「地名」として地図に残り、競技の言葉として口に乗り続けている。
地名は消えにくい。とりわけ、港にまつわる言葉は日本の地名に深く根を張った。「津」「泊」「浦」——かつて船が行き来したどんな場所に、どんな言葉が与えられてきたのか。その違いを辿ると、日本の海上交通の歴史が浮かび上がってくる。
「津」とはどんな場所か
「津」(つ)は古語で、船舶が停泊する場所、船着き場、港を意味した。海岸・河口・川の渡し場など、要するに「水辺で船が着く場所」全般を指す言葉で、そこから転じて「港をひかえて人の集まる土地」「賑わいの場」という意味も生まれた。
古代の港湾都市を「○○津」と呼ぶ例は枚挙にいとまがない。難波津のほか、「薩摩の坊津」「筑前の博多津」「伊勢の安濃津(あのつ)」は「三箇の津」として知られた古代三大港湾都市だ。滋賀県の「大津」は「大きな津(港)」、すなわち琵琶湖舟運の大拠点という意である。三重県の「津市」は、もともとは「安濃津」と呼ばれていたのに地名が縮んで「津」だけが残ったもので、「港」という普通名詞が固有名詞になった珍しい例といえる。
「津」地名の分布は、北部九州から瀬戸内海を経て畿内に至る古代の海路と重なる傾向がある。日本歴史地名大系で調べると、「津」を含む地名は757件にのぼり、「泊」(108件)や「湊」(255件)を大きく上回る。大陸との交流が盛んだった中心域に、この言葉は集中して刻まれたようだ。
「泊」が語るもの
「泊(とまり)」は、船が停泊すること、またはそのような場所を指す言葉で、「津」とほぼ同義として扱われることが多い。ただし分布の特徴が異なる。北海道・東北、鹿児島・沖縄など日本の南北両端部に集中しており、大陸交流の中心域からは薄い。
神戸にゆかりの深い地名として「大輪田泊(おおわだのとまり)」がある。天平年中(729〜749年)に僧・行基が整備したと伝えられる「摂播五泊」の一つで、現在の神戸港・兵庫ふ頭周辺に相当する。五泊とは、河尻・大輪田・魚住・韓(から)・檉生(むろう)という摂津〜播磨にかけての五つの寄港地のことで、一日航程ごとに設けられた瀬戸内海航路の基盤となった。
大輪田泊は、西から突出する和田岬によって南西風と潮流から守られるという地形的な利点を持っていた。その反面、南東風には弱く、防波堤の整備が繰り返し必要だった。平清盛が私財を投じて人工島「経ヶ島」を築き、日宋貿易の拠点として整備したのもこの地だ。鎌倉時代に入ると「大輪田泊」の名は廃れ、「兵庫の津」と呼ばれるようになる。
同じ場所が「泊」から「津」へと呼び名を変えた。地名の変遷は、港の性格の変化をそのまま映している。
「浦」の広がり
「浦(うら)」は「裏」と同語源とされ、海や湖が湾曲して陸地に入り込んだ場所——入り江、湾——を意味した。「船着き場」という機能語というよりも、地形を描く言葉に近い。そこから「海岸、海辺」、さらには「海辺の村里、漁村」へと意味が広がった。
「浦」地名のヒット件数は1304件と、「津」「泊」「湊」のいずれをも大きく上回る。分布の特徴として際立つのは、東北日本には少なく、西南日本に向かうほど密になるという傾向だ。長崎県(159件)・愛媛県(82件)・大分県(77件)などに集中しており、リアス状の複雑な海岸線を持つ地域に「浦」の名が多く刻まれている。
江戸時代には制度的な意味も加わった。漁業や海運を中心とする集落を「浦方」と呼び、農業を中心とする「村方」と区別して支配の末端単位として把握する藩が多くあった。「○○浦」という地名は、単に地形を示すだけでなく、海に生きる人々の共同体そのものを指す言葉でもあったのだ。
言葉が地図に残る理由
「津」「泊」「浦」はいずれも、記紀・万葉集に遡る古い言葉だ。それぞれが消えることなく現在の地名に埋め込まれているのは、地名というものが機能の記憶だからだろう。港があった。船が着いた。人が集まった。その事実が言葉となり、そのまま地面に張り付いた。
難波津はとっくに埋め立てられ、今は大阪市の繁華街が広がる。大輪田泊の面影を残す兵庫の海岸は、明治の開港以来、「神戸港」として塗り替えられた。それでも「難波津」の名は歌に残り、兵庫津の「津」は現在の地名に生き続けている。
地形や機能が変わっても、言葉だけが地面に残る。地名とはつまり、見えなくなった風景への案内板でもある。
参考・出典
- JapanKnowledge「日本列島『地名』をゆく! 第45回 湊・津・泊・浦、……そして今津(1)」 https://japanknowledge.com/articles/blogjournal/interest_chimei/entry.html?entryid=45
- JapanKnowledge「日本列島『地名』をゆく! 第46回 湊・津・泊・浦、……そして今津(2)」 https://japanknowledge.com/articles/blogjournal/interest_chimei/entry.html?entryid=46
- コトバンク「大輪田泊」(改訂新版 世界大百科事典ほか) https://kotobank.jp/word/大輪田泊-39682
- 神戸市「神戸港の歴史」 https://www.city.kobe.lg.jp/a74134/kurashi/access/harbor/rekishi.html
- 大阪市港湾局「大阪港の景観特性をとらえる要素・歴史」 https://www.city.osaka.lg.jp/port/page/0000432129.html
- 瀬戸内・海の路ネットワーク推進協議会「瀬戸内海の歴史」 https://www.uminet.jp/know/detail.php?id=22


