オレンジ色のカードを手にして「この色はどこにありますか」と問われたら、ほとんどの人がカードの表面を指差す。それは直感的にも正しく思える。しかし立命館大学で色彩工学を研究する篠田博之教授は、そこにオレンジ色はないと言い切る。
では、色はどこにあるのか。
物体は「色」を持っていない
物理的に言えば、オレンジ色のカードの表面には色素分子が存在する。その分子は、特定の波長の光を反射し、それ以外の波長を吸収する。そこにあるのは「短波長の光を反射しにくく、中〜長波長の光を反射しやすい」という物理的な特性だけだ。
「色」という言葉が指し示すものは、その特性そのものではない。
ニュートンは1704年刊行の著書『光学』の中で、「光線には色がない。それぞれの色の感覚を引き起こす、ある種の力と性質があるだけだ」と記している。光の研究の先駆者がすでに、色は光にあるのではないと見抜いていた。今から300年以上前のことである。

光の正体が電磁波だとわかった現在も、その見方は変わらない。可視光と呼ばれる電磁波は波長380〜750ナノメートルの範囲にある。波長の違いが色の違いとして現れるが、それは光そのものに赤さや青さが備わっているわけではない。振動する空気が「音」を持っているのではなく、その振動を耳と脳が音として解釈するのと同じ構造だ。
三つの錐体細胞が作り出すもの

光が目に入ると、網膜の奥にある錐体細胞がそれを受け取る。人間の錐体細胞には三種類あり、それぞれ長波長(赤系)、中波長(緑系)、短波長(青系)の光に感度を持つ。三つの錐体がそれぞれどの程度刺激されたかによって異なる電気信号が生成され、視神経を通じて脳へと伝わる。
ここで重要なのは、この信号が「赤い」「青い」という情報をすでに含んでいるわけではない点だ。それは数値の比率であり、脳が処理して初めて色として意味を持つ。
脳内の視覚情報処理は段階的に行われる。一次視覚野(V1)で基本的な明るさや輪郭が処理された後、V4と呼ばれる領域で色の解釈がなされる。この領域が損傷されると、物体の形は見えても色がわからなくなる。色盲に似た状態が後天的に生じるわけで、V4が色の知覚において中心的な役割を担っていることを示している。
色は、脳の中で生まれる。
同じカードが違う色に見えるとき
もし色が物体の側にあるなら、照明が変わっても色は変わらないはずだ。しかし赤いリンゴを青い照明の下に置いても、私たちはそれを「青みがかったリンゴ」ではなく「赤いリンゴ」として認識する。夕暮れ時の街並みは全体的に橙色を帯びているが、白い建物は白く、緑の植木は緑として見える。
これを「色の恒常性」という。照明光の条件が変わっても、同じ物体は安定して同じ色として知覚される現象だ。
脳は、目に届いた光のスペクトル(波長成分)をそのまま受け取るのではなく、周囲の状況から照明条件を推定し、対象の「本来の色」を計算している。この補正は無意識のうちに、リアルタイムで行われている。カメラのホワイトバランス機能は、この脳の自動補正を技術として模倣したものだ。

ただし、この補正が人によって微妙にずれることもある。2015年にSNS上で世界的な論争を引き起こした「ザ・ドレス」問題はその典型例だった。一枚の写真に写ったドレスが、ある人には「青と黒」に、別の人には「白と金」に見えた。実物は青と黒のドレスだが、写真の光源の解釈が人によって異なり、色の恒常性補正の方向が分かれたためだ。同じ画素の色を見ながら、脳が異なる「照明推定」をした結果として、知覚される色が変わった。

ドレスの写真に写っていた色は一つだった。しかし、そこから生まれた知覚は一つではなかった。
色は三者の関係の中にある
色を決める要素を整理すると、次の三つになる。
- 物体:特定の波長を反射・吸収する分光反射率
- 光:物体に当たる照明光のスペクトル
- 観察者:錐体細胞の特性と、脳の情報処理
このいずれかが変わると、知覚される色も変わる。物体が同じでも、光が変わればカードの色は変化する。同じ光のもとでも、観察者が変われば別の色として見えることがある。色は独立して存在しているのではなく、三者の関係の中にだけ存在する。
哲学者たちはこれを古くから問題にしてきた。フランク・ジャクソンが1982年に提唱した「マリーの部屋」という思考実験は、色知覚の本質に触れる有名な問いだ。色に関するあらゆる物理的・神経科学的知識を持つ科学者マリーが、初めてカラーの世界を見た瞬間、彼女は「新しい何か」を知るのかどうかという問いである。物理的な情報をすべて知ることと、実際に色を経験することは同じではないかもしれない——その問いは今も決着していない。
色はどこにあるか
物体の表面にあるのは、波長を選別する分子の配列だ。光の中にあるのは、波長ごとに異なるエネルギーの電磁波だ。色として経験されるのは、その先で起きる、目と脳による変換と解釈の結果だ。
「赤いリンゴ」という表現を否定したいわけではない。しかしその「赤さ」がどこから来るのかを問えば、答えはリンゴの皮でも、それを照らす光でもなく、それを見る者の神経系の中にある。
色は、世界に塗られているのではない。世界と関わる中で、生み出されるものだ。
参考・出典
- 立命館大学 TANQ「これって何色?想像以上にスゴかった人間の色覚メカニズム!」https://www.ritsumei.ac.jp/tanq/352357/
- artscape 現代美術用語辞典「ニュートン光学」https://artscape.jp/dictionary/modern/1198626_1637.html
- 脳科学辞典「色の恒常性」守田 知代(大阪大学工学研究科)https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%89%B2%E3%81%AE%E6%81%92%E5%B8%B8%E6%80%A7
- 脳科学辞典「色選択性細胞」小松英彦(自然科学研究機構生理学研究所)https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E8%89%B2%E9%81%B8%E6%8A%9E%E6%80%A7%E7%B4%B0%E8%83%9E
- All About ニュース「白金ドレス?青黒ドレス? 人の脳内で『色情報』はどう処理される?」https://news.allabout.co.jp/articles/o/24303/
- 東京大学総合研究博物館「マリーの部屋」森 洋久https://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v23n1/v23n1_mori.html


