日本史

歴史

「天皇」はいつ生まれたのか——「大王」から改めた7世紀と、定説を動かした木簡

「天皇」という称号は最初からあったわけではありません。7世紀まで、日本の王は「大王(オオキミ)」と呼ばれていました。いつ「天皇」へ変わったのかは長く論争で、推古朝説と天武朝説が対立してきました。流れを変えたのが飛鳥池遺跡から出た木簡です。遣隋使の国書、唐の高宗、道教の北極星、そして律令と明治の法制化まで、一つの称号が生まれ定着するまでをたどります。
歴史

平清盛はなぜ神戸に港を作ったのか——都に近い港と、海に沈めた経文の石

平清盛は私財を投じて神戸の港・大輪田泊を整えました。船を悩ませた南東の風をふせぐため、海に石を沈めて人工島まで築いています。狙いは、宋の船を博多で止めず瀬戸内海の奥、都のすぐ近くまで引き込むこと。法皇に宋人を引き合わせて貴族を仰天させた賭けから、福原遷都の夢、清盛の死後に兵庫津・神戸港へと受け継がれた港の来歴までをたどります。
歴史

灘の酒はなぜ「辛口」なのか——宮水の硬さと、江戸がえらんだ味

菊正宗も白鶴も、灘の酒はそろって「辛口」を看板にします。その辛さは、西宮で湧く硬い水「宮水」の化学と、はるばる江戸まで運ばれた市場の事情が重なって生まれたものでした。水を入れ替えて味の謎を突き止めた酒蔵の話から、樽廻船が運んだ年間100万樽の酒まで、灘が「男酒」になった理由をたどります。
歴史

菟原処女伝説はどう変容したのか——万葉の挽歌から能・鷗外へ、書き換えられた娘の死

二人の男に求婚され、選べずに死んだ娘。神戸・東灘の処女塚古墳に重ねられた菟原処女の物語は、万葉集の挽歌から『大和物語』、能『求塚』、森鷗外の戯曲へと1200年かけて語り直されてきました。骨組みは変わらないのに、娘の死の理由と意味だけが時代ごとに書き換えられていく。その変容をたどります。
歴史

湊川神社——光圀の墓碑から始まり、最初の別格官幣社になるまで

神戸の「楠公さん」こと湊川神社。祀られる楠木正成が湊川で自刃したのは1336年、神社の創建は明治5年で、その間およそ500年が空いている。徳川光圀が建てた1基の墓碑から、幕末の志士の崇敬、そして日本で最初の別格官幣社となるまで——1人の武将が時代ごとに語り直されてきた跡をたどる。
歴史

有馬温泉はなぜ「日本最古」と呼ばれるのか——3000年の伝説と、600万年前の海水

「日本最古の温泉」と呼ばれる有馬温泉。その根拠は一つではなく、三羽のカラスの神話、日本書紀が伝える天皇の長逗留、そして火山のない土地に高温の湯を湧かせる地質と、まるで層の違う時間が重なっている。600万年前の海水がいま湧くしくみと、金泉・銀泉の正体までをたどる。
歴史

神戸はなぜ「港町」になったのか——深い海と、清盛から続く港の記憶

神戸が港町になったのは偶然ではない。背後に六甲がせまり岸からすぐ深くなる海、和田岬が風をさえぎる穏やかさ、干満差の小ささ——天然の良港の条件がそろっていた。さらに畿内に近い立地、平清盛の大輪田泊から続く千年の蓄積、そして条約の「兵庫」が隣の「神戸」へずれた幕末の事情が重なった経緯をたどる。
言葉

日本語の数え方はなぜ複雑なのか——和語と漢語、形と命で分かれる単位

鉛筆は1本、紙は1枚、犬は1匹、鳥は1羽。日本語の数え方は、ものの形や性質によって単位を変える。その種類は一説に約500種類。和語と漢語の二系統が混ざり、牛が「頭」になったのは明治以降、ウサギが「羽」の理由には決め手がない。複雑さの正体を、由来と諸説からたどる。
歴史

処女塚古墳——豪族の墓に、菟原処女の悲恋が重なるまで

神戸市東灘区の石屋川べりに残る処女塚古墳は、万葉集に詠まれた菟原処女の悲恋伝説の舞台として知られます。けれど発掘が語る実態は、山陰系の土器をもつ3世紀後半の豪族の墓でした。被葬者の名が失われた塚に、東西の求女塚と並ぶ「見立て」から物語が宿り、大和物語や森鷗外へと書き継がれていきます。
歴史

生田神社と一宮から八宮——「神戸」と「三宮」、地名を生んだ古社と八つの裔社

神戸の繁華街「三宮」は三宮神社に、市の名「神戸」は生田神社の社領「神戸(かんべ)」に由来します。一宮から八宮まで番号のついた社がそろって残るのは全国で神戸だけとされ、節分にはこの八社をめぐる風習が続いています。地名のいたるところに古社の影が差す、神戸の成り立ちをたどります。