灘五郷はいつから「五郷」になったのか——数がそろった江戸、顔ぶれが決まった明治

灘五郷はいつから「五郷」になったのか——数がそろった江戸、顔ぶれが決まった明治 歴史

白鶴、菊正宗、大関、櫻正宗。スーパーの棚に並ぶ酒の多くが、神戸から西宮にかけてのせまい海沿いで造られています。この一帯をまとめて「灘五郷」と呼びます。

五つの郷。名前からして、数はきっぱり五で決まっているように聞こえます。ところが「いつから五郷だったのか」と問い直すと、話はそう単純ではありません。「五」という数がそろった時期と、いまの顔ぶれが決まった時期は、実は別なのです。

「五郷」と一口に言うけれど

まず、現在の灘五郷を確認しておきます。東から、今津郷と西宮郷がいまの西宮市。魚崎郷と御影郷が神戸市東灘区。いちばん西の西郷が神戸市灘区です。西宮から灘区まで、海沿いにおよそ12キロにわたって酒蔵が並んでいます。

規模は小さくありません。神戸市の解説によれば、この一帯だけで清酒の生産量はおよそ全国の4分の1を占め、産地としては日本一だそうです。棚の酒の4本に1本が灘、と考えると、せまい海辺にずいぶん集まったものです。

数がそろうまで

では、五郷の「五」はいつそろったのか。

灘五郷酒造組合がまとめている歴史をたどると、意外に古い話になります。まず明和9年(1772年)の段階で、上灘・下灘という二つの郷に今津郷を加えた「三郷」がありました。それが文政11年(1828年)になると、上灘がさらに東組・中組・西組の三つに分かれます。東組がいまの魚崎、中組が御影、西組が新在家から大石のあたりです。この上灘三組に下灘郷と今津郷を足したものを、組合は「江戸時代の灘五郷」と書いています。

数のうえでの「五郷」は、江戸が終わるよりずっと前にできあがっていたわけです。

顔ぶれが入れ替わった明治

ところが、いまの五郷の顔ぶれは、江戸のそれとぴったり同じではありません。

『灘五郷』の解説によれば、明治19年(1886年)に摂津灘酒造組合という組織がつくられ、このとき衰えていた下灘郷が外れ、代わりに西宮郷が加わって、今津・西宮・魚崎・御影・西郷という現在の五郷の組み合わせが定まったとされます。

調べていて少し戸惑ったのは、この明治の組み替えを、組合自身の公式の歴史はほとんど語っていないことでした。組合のほうは、江戸時代にすでに灘五郷ができていた、という筋で書いています。一方で、いまの顔ぶれは下灘が抜けた後のものです。どちらかが誤りというより、「五という数がそろった話」と「いまのメンバーが決まった話」を、別々の場面として語っているのでしょう。おかげで「灘五郷はいつから五郷か」という問いには、江戸と明治、二つの答えが立ちます。

なぜ、よりにもよって灘だったのか

そもそも、なぜこのせまい海辺にこれほど酒造りが集まったのか。条件がいくつも重なっています。

いちばんよく挙げられるのが宮水です。西宮で湧く井戸水で、櫻正宗の山邑太左衛門が天保年間、1840年ごろに、自分の西宮の蔵と灘の蔵とで酒の出来が違うのは水のせいだと突き止めた、と伝えられています(発見の年は天保8年とも11年とも言われ、はっきりしません)。宮水の何がよいかというと、成分です。麹や酵母の栄養になるカリウムやリンを多く含み、逆に酒の色や香りを損なう鉄分は、ほとんど含まれていません。その鉄分の少なさは、普通の水の何十分の一という桁だといいます。

水以外もそろっていました。背後の六甲山系から流れ落ちる急流は、大きな水車を回す力になります。これで米を大量に、しかも深く削ることができました。山の北側、丹波からは、寒い時期だけ蔵に住み込んで酒を造る丹波杜氏の集団がやってきます。冬に六甲おろしの冷たい風が吹きおろす土地柄も、低温でじっくり仕込む寒造りに向いていました。

そして、海です。蔵の目の前が港でしたから、できた酒は樽廻船に積んでそのまま江戸へ送り出せました。

「江戸の酒の8割」という言い方

灘の酒は、江戸でとてもよく売れました。

文化庁の日本遺産の解説には、江戸時代の末ごろ、樽廻船で江戸へ下った酒は年間およそ100万樽にのぼり、江戸で飲まれる酒の8割を占めた、とあります。上方から「下ってきた」よい酒、いわゆる下り酒として珍重されたわけです。新酒をいち早く江戸へ届ける新酒番船という競争もあり、西宮から江戸まで最速57時間という記録も残っています。

ただ、この「8割」は、少し割り引いて受け取ったほうがよさそうです。文化庁の解説でも「占めたといわれています」という伝聞の言い回しで、いつの時点の、何を分母にした割合なのかははっきりしません。

いつから、の答え

こうして並べると、「灘五郷はいつから五郷になったのか」という問いには、一つの答えが返せません。

五という数がそろったのは江戸の後期、いまの顔ぶれが決まったのは明治です。だから答えは、江戸と明治の二つに分かれます。

参考・出典

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