日本史

歴史

五色塚古墳はなぜ海を向いているのか——海の道に向けて築かれた、被葬者不明の巨大墳

神戸の住宅街に突然現れる全長194メートルの前方後円墳。兵庫県最大の五色塚古墳は、平野ではなく明石海峡を見下ろす台地の端に、海へ向けて築かれている。葺石は対岸の淡路島から運ばれ、その事実は日本書紀の伝承とも響き合う。日本初の復元古墳でありながら、被葬者も埋葬施設の場所も、いまだ謎のままだ。
言葉

旧国名はなぜ今も生き残っているのか——法令で消えなかった名前と、県境とずれる国のかたち

「信州そば」「伊予柑」「薩摩芋」——どれも明治に役割を終えたはずの旧国名を冠している。けれど令制国は、実は法令で廃止されたことが一度もない。廃藩置県で消えたのは藩であって国ではなかった。名前がしぶとく残る理由と、今の県境からはみ出す旧国境のずれをたどる。
歴史

灘五郷はいつから「五郷」になったのか——数がそろった江戸、顔ぶれが決まった明治

現在の「灘五郷」の顔ぶれが決まったのは明治19年。けれど「五郷」という数そのものは、江戸後期にはもうそろっていた。宮水・水車精米・丹波杜氏・樽廻船という条件が重なり、灘が「江戸の酒の8割」を担うまでになった形成史を、いつ何が決まったのかに注目してたどる。
歴史

本住吉神社はなぜ「本」を名乗るのか——日本書紀の地名と、延喜式に載らない元宮の主張

神戸市東灘区の本住吉神社は、大阪の住吉大社に対して「うちが元宮だ」と主張する小さな社です。根拠は日本書紀の「大津渟中倉之長峡」の解釈で、廣田・生田・長田と並ぶ立地や本居宣長の支持を挙げます。一方で延喜式神名帳に名がないという不利もあり、1800年の元宮論争は今も決着していません。