神戸の繁華街で人と待ち合わせるとき、たいていの行き先は「三宮」です。その隣には「二宮」、山手に上がれば「一宮」。番号のついた地名がいくつも続きます。これらはもともと、神社の名前でした。神戸の市街には、一宮神社から八宮神社まで、番号をふられた八つの社が今も残っています。一から八までそろって現存するのは全国でも神戸だけ、と神社本庁は説明しているそうです。
そして「神戸」という市の名前そのものも、これらの社の親元にあたる生田神社にさかのぼります。
「神戸」は、神社の戸籍だった
大同元年(806年)、朝廷は生田神社に「神封44戸」を与えました。神社の祭祀や雑事を支えるために、税や労役を神社へ納める家のことです。この家々を「神戸」と書いて「かんべ」と読みました。生田の神を守る家、という意味です。
公式観光サイトの Feel KOBE も、この「神戸(かんべ)」が地名の由来になったと説明しています。かんべが「こんべ(紺戸)」となり、やがて「こうべ」と読まれて、「神戸」の字があてられた。つまり政令指定都市の名は、もとをたどれば一つの神社に仕えた家の戸数を指す言葉でした。百数十万人が暮らす街の名前の出どころが、社領の戸籍だったというのは、言われてみると不思議な来歴です。
ついでにいえば、生田の「生田」も、もともとは「活田」と書いたとされます。活き活きとした、生命力にあふれた土地。神社の名にも、地名にも、古い言葉の手触りが残っています。
生田神社という親元
その生田神社は、社伝によれば1800年以上の歴史をもつ古社です。『日本書紀』は、神功皇后元年(201年)の創祀を伝えます。皇后が三韓征伐から戻る途中、いまの神戸港のあたりで船が進まなくなった。神占を行うと、稚日女尊(わかひるめのみこと)が「吾は活田長峡国に居らむ」と告げたので、海上五十狭茅を神主として布引の山に祀った——というのが、はじまりの物語です。
社地は一度動いています。延暦18年(799年)、布引の滝が大洪水を起こして社殿が傾き、御神体を背負った村人が新たな鎮座地を探し歩いたところ、いまの「生田の森」で御神体が動かなくなった。そこに安置したのが現在地だと伝わります。延喜式神名帳には「摂津国八部郡 生田神社」として名神大社に列せられ、格の高い社として扱われてきました。生田の森といえば、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いで平知盛が本陣を置いた場所でもあります。社の歴史は、源平の合戦にも触れています。
1995年の阪神・淡路大震災では社殿が倒壊しましたが、翌年には復旧の奉告祭が営まれ、いまも街の中心で参拝客を集めています。
一宮から八宮へ
生田神社の氏子地には、一宮から八宮まで番号のついた社が点在し、古くから「裔社(えいしゃ)」、つまり生田の神の系統を引く社と呼ばれてきました。それぞれが旧来の村に対応しています。一宮は北野、二宮は生田、三宮は神戸、四宮は花隈、五宮は奥平野、六宮と八宮は坂本、七宮は兵庫津の北浜。いまの繁華街の地名とそのまま重なるものもあれば、すっかり消えた村名もあります。
祭神についての通説はこうです。天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたとき、三柱の女神と五柱の男神、あわせて八柱の神が生まれた。その八柱を1社ずつ分けて祀ったのが、一宮から八宮だ——と。番号と神の数がきれいにそろう、よくできた話です。
数えてみると、合わない
ところが、番号順に祭神をたどっていくと、どうも勘定が合いません。
一宮の田心姫命、三宮の湍津姫命、四宮の市杵嶋姫命。ここまでは誓約で生まれた三女神です。二宮の天忍穂耳尊、五宮の天穂日命、六宮の天津彦根命、八宮の熊野杼樟日命は、五男神のうちの四柱。すると五男神の最後の一柱、活津彦根命がどこにも見当たりません。そして残る七宮の祭神は大己貴尊(おおなむちのみこと)——大国主の別名で、誓約とは関係のない神です。おまけに二宮と六宮には、後世に応神天皇も合わせて祀られています。
「三女神と五男神を八社に」という説明は、覚えやすくはあるのですが、実際の祭神とはずれている。後から番号と神話を結びつけて整えた、という見方のほうが落ち着きそうです。八社それぞれの成り立ちは、もう少し雑多だったのでしょう。
全国でここだけ
それでも、1から8までの番号社がそろって残っているのは、やはり珍しいことのようです。日本経済新聞の記事によれば、8社は1699年の記録にすでに「裔神末社」として登場し、当時から厄除けに巡る風習がありました。同じ記事は、8社がそろうのは全国的にも珍しいという神社本庁の見方を紹介しています。番号のついた社が一つ二つ残る土地はあっても、一揃い現役で残るのは神戸くらい、というわけです。
節分にめぐる
その習わしが、いまも続いています。本来は2月3日の節分に、一宮から八宮までを順に巡拝して厄を払い、方位の災いを除ける。8社をひとめぐりしても、距離はおよそ12キロメートルほどです。三宮神社は大丸百貨店の前に建っていて、繁華街のど真ん中。一方、五宮は坂の上の路地の奥にあって、巡拝の「最難関」と呼ばれます。同じ番号社でも、街の変化の受けかたはずいぶん違います。
六宮にいたっては、独立した社殿がありません。明治の区画整理で社地が学校用地になり、八宮神社に合祀されました。いまは八宮の社殿の中に、六宮の祭神が一緒に祀られています。八宮の宮司が「祭りも二つあるので作業が2倍」とこぼしていたと、先の日経の記事は伝えています。番号は残っても、社のかたちは時代に応じて畳まれたり、寄り添ったりしてきました。
三宮で待ち合わせる人のほとんどは、その名がすぐ近くの小さな社から来ていることを、もう意識しません。それでも地名のほうは、消えた村や畳まれた社の名を、番号のまま今日まで運んでいます。
参考・出典
- 生田神社についてご紹介(由緒) | 生田神社公式 https://ikutajinja.or.jp/introduction
- 生田神社 | 兵庫観光ナビ(兵庫県公式観光サイト) https://www.hyogo-tourism.jp/spot/detail_1019.html
- 三宮だけじゃない 八つの宮 神戸の守り神(とことんサーチ) | 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXLASHD23H02_T20C17A2AA2P00/
- 生田神社 | Feel KOBE 神戸公式観光サイト https://www.feel-kobe.jp/facilities/0000000035/
- 八社巡り〜生田神社の裔神八社を巡る | 神戸散歩 https://kobesanpo.net/map/chuo07
- 神戸八社巡り | 神戸三社・商工振興 https://www.shoko-dw.com/shrine8/
- 生田神社 | Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/生田神社


