送り仮名はなぜ揺れるのか——「行う」か「行なう」か、100年の試行錯誤

送り仮名はなぜ揺れるのか——「行う」か「行なう」か、100年の試行錯誤 言葉

「会議を行う」と書くか、「会議を行なう」と書くか。ワープロソフトの変換でどちらも候補に出てきて、一瞬どちらを選べばいいのか迷ってしまう——あの感覚に覚えのある方は、多いのではないでしょうか。

結論から言えば、どちらも誤りではありません。「行う」が原則ですが、「行なう」も認められています。同じように「表す」と「表わす」、「現れる」と「現われる」も、両方が許されています。

不思議なのは、なぜこんな「どちらでもいい」状態がわざわざ用意されているのか、という点です。日本語の表記は、漢字も仮名遣いも、近代以降かなり厳密に整えられてきました。それなのに送り仮名だけは、最後まできれいに一本化されていない。これは偶然の取りこぼしではなく、100年以上にわたる国語施策が、意図して残してきた揺れなのです。

少なく送っていた時代

そもそも送り仮名は、漢字で日本語を書くようになった当初から悩みの種でした。漢字の訓に仮名をどこから添えるか、決まった作法があったわけではありません。コトバンクで『日本大百科全書』を引くと、万葉仮名の時代にすでに送り仮名にあたる工夫が見られると説明されています。長い前史がある問題なのです。

統一が課題として意識されるのは、やはり明治です。法律や教科書を整える必要から、送り仮名の付け方を定めようという動きが起こります。1907年(明治40年)には国語調査委員会が「送仮名法」をまとめ、これがしばらく一つの目安になりました。

押さえておきたいのは、戦前の送り方が今より「少なく送る」方式だったことです。現在なら「行なう」「表わす」と送るところを、もっと切り詰めて書いていました。そのため古い文献を読むと、送り仮名が今より短く感じられます。

昭和34年、今度は送りすぎを叱られる

戦後、送り仮名は初めて国の正式な基準を得ます。1959年(昭和34年)、内閣告示第1号として「送りがなのつけ方」が定められました。活用語尾をきちんと送る、という方針で規則化したものです。

ところが、これが評判を呼びませんでした。今度は逆に「送りすぎる」と批判されたのです。なんでも丁寧に送ればいいというものではなく、かえって読みにくい、煩わしいという声が上がりました。戦前は短すぎ、昭和34年版は長すぎ。ちょうどいい落としどころが、なかなか見つからない。

ここで国がとった次の一手が、なかなか興味深いものでした。完璧な唯一の正解を決めにいくのではなく、むしろ複数の書き方を公式に認める方向へ舵を切ったのです。

「本則」と「許容」という発明

1959年版への不満を受けて再検討が進み、1973年(昭和48年)6月、内閣告示第2号として新しい「送り仮名の付け方」が告示されます。古い昭和34年の告示は、これをもって廃止されました。今わたしたちが使っている送り仮名の基準は、基本的にこのときのものです。

この告示の新しさは、全体を七つの通則に分けたうえで、それぞれに「本則」だけでなく「例外」と「許容」を設けた点にあります。コトバンクの解説は、この改定を「例外・許容を大幅に認め、その運用を個々人の自由な選択にゆだねる」性格のものだと整理しています。

三つの言葉の関係を、おさえておきましょう。

  • 本則は基本のルールです。原則としてこれに従って書きます。「行う」「表す」「現れる」がこちら。
  • 例外は、本則ではうまくいかない語のために特別に定められた送り方です。たとえば語幹が「し」で終わる形容詞は「し」から送る、と決まっていて、「著しい」「珍しい」「惜しい」がこれにあたります。例外はその語に限って強制で、勝手に本則どおりへ直すことはできません。
  • 許容は、本則でも許容でもどちらで書いてもよい、というものです。「行なう」「表わす」「現われる」「断わる」「賜わる」がここに入ります。ただし迷ったときは本則による、とされています。

つまり「行う/行なう」問題は、許容という仕組みがそのまま顔を出している場面なのです。揺れているように見えて、実は制度がきちんと「揺れていい」と認めている。

複合語になると、また少し話が変わります。本則では「取り扱う」は「取る」+「扱う」というふうに、もとの単独の語の送り方をそのまま重ねます。一方で、活用のない複合の名詞は、読み間違えるおそれがなければ送り仮名を省いてよい、という許容があります。「申し込み」を「申込み」、「取り扱い」を「取扱い」と書けるのはこのためです。さらに慣用が固まりきった複合名詞は、もう送り仮名を付けません。「取締役」「書留」「切手」「試合」「物語」——言われてみれば、これらに送り仮名を足す人はいません。

なぜ完全には揃わないのか

ここまでで、揺れが制度的に組み込まれていることは見えてきました。では、許容を残したことで現場はどうなっているのか。

いちばんはっきり差が出るのが、公用文と新聞、そして学校教育の食い違いです。

役所の文書、つまり公用文は、原則として「本則」と「例外」に従います。これは義務教育で習う送り仮名と一致するので、本来は素直なはずでした。ところが公用文には、もう1段の特別ルールがあります。2021年(令和3年)に文化審議会がまとめた報告によれば、活用のない複合の語のうち186語については、あえて通則の「許容」を適用して送り仮名を省く、と決められています。法令の表記と公用文の表記を揃えるためで、根拠は2010年(平成22年)の内閣訓令にあります。

その結果、同じ言葉でも書き分けが起きます。報告書が挙げる例を借りると、公用文では「売場」「手続」「取組」と省くのに対し、学校教育で教わるのは「売り場」「手続き」「取り組み」。新聞各社もそれぞれの基準を持っていて、たとえば新聞では「取り組み」と送る、という具合に媒体ごとに方針が違います。同じ役所の文書の中でも、名詞は「取組」と省くのに、動詞になると本則どおり「取り組む」「売り上げる」と送ります。

「行なう」がしぶとく残っている理由についても、ひとつ補助線があります。送り仮名の解説サイトのなかには、「行う」だと「行く」の活用形「行き」「行って」と紛れて読み誤りやすいので、はっきりさせるために「行なう」が好まれた、と説明するものがあります。ただしこれは告示そのものが明記している理由ではなく、あくまで解説者による整理です。許容が残された一般的な狙いが「読み誤りを防ぐ」ことにある、という点までは告示の趣旨に沿いますが、「行く」との衝突を名指しで理由としているわけではありません。

「行う」か「行なう」かで、ふと指が止まることがあります。その短い迷いの後ろには、唯一の正解を決めきらなかった——あるいは決めきれなかった——100年ぶんの判断が控えています。揺れているのは、書き手の知識ではなくルールのほうです。どちらを選んでも間違いではない、とだけ覚えておけば、もう変換のたびに身構えずにすみます。

参考・出典

タイトルとURLをコピーしました