オリンピックはなぜ4年ごとなのか——古代ギリシャの暦が決めた周期を、近代がなぞった

オリンピックはなぜ4年ごとなのか——古代ギリシャの暦が決めた周期を、近代がなぞった 歴史

4年に1度、世界中から選手が集まって競い合う。オリンピックのこの間隔を、私たちはあたりまえのように受け入れています。けれど、なぜ4年なのかと改めて問われると、案外うまく答えられません。テレビの放送権の都合でしょうか。競技の準備に4年ほしいから、でしょうか。どちらでもありません。この周期の理由は、2800年ほど前のギリシャで、月と太陽のずれをどう合わせるか、という暦の問題までさかのぼります。

暦のつじつま合わせ

古代ギリシャの人々は、月の満ち欠けをもとにした暦を使っていました。ところが月の暦は、太陽の1年とうまくかみ合いません。月を12回数えても、太陽の1年より10日あまり足りず、放っておくと季節と暦がずれていってしまいます。

そこで彼らは、長い周期で帳尻を合わせました。太陽の暦で8年ほど経つと、月の暦の8年とのずれが、うるう月をいくつか挟むことでほぼ解消される。この8年という区切りが、ギリシャ人にとって特別な意味を持ちました。祭りは、はじめこの8年ごとに開かれていたようです。それがのちに、半分の4年周期になりました。日本オリンピック委員会の解説によれば、古代オリンピックは月の暦にもとづき、49カ月と50カ月の間隔を交互に取りながら、およそ4年に1度開かれていたといいます。うるう月を挟んで太陽の1年と歩調を合わせる、太陰太陽暦の考え方です。

開催の時期も、暦と天体に結びついていました。ワールドヒストリー百科事典によると、古代の大会は夏至のあとの最初の満月のころ——だいたい7月の半ばに開かれたとされます。4年おきという区切りは、競技の都合ではなく、こうした暦の計算から来ていました。

オリンピアードという時計

面白いのは、この4年周期そのものが、時間をはかる「ものさし」になっていったことです。

ギリシャ人は、大会と大会のあいだの4年間を「オリンピアード」と呼び、それを使って歴史の年代を数えました。紀元前776年、コロイボスという人物が最初の競走に勝った、その大会を第1オリンピアードの起点とする。以後、出来事を「第何オリンピアードの何年目」と書き表していく。ブリタニカ百科事典もワールドヒストリー百科事典も、これが古代ギリシャで初めての、信頼できる年代の物差しになったと説明しています。歴史家たちは、事件の起きた年を、この回次で書き記していきました。

聖なる休戦

4年に1度のこの祭りには、もう一つ、独特のしきたりがありました。聖なる休戦です。

大会は、オリンピアの神域で全能の神ゼウスに捧げられました。都市国家どうしが争っていても、選手や観客が安全に行き来できるよう、ギリシャ全土に一時の停戦が布告される。日本オリンピック委員会やワールドヒストリー百科事典の記述では、この休戦(エケケイリア)は当初1カ月ほどでしたが、最終的には3カ月ほどにまで延びたとされます。戦争のさなかでも、選手や観客はこの祭りへ向かいました。

祭りが消えた

千年を超えて続いたこの祭りにも、終わりが来ます。

ローマ帝国がキリスト教を国教とすると、異教の神をまつる祭典は行き場を失いました。ブリタニカによれば、古代オリンピックは西暦393年ごろ、皇帝テオドシウス1世(あるいはその息子)によって、異教的だとして廃されます。日本オリンピック委員会は、最後の大会を393年の第293回とし、1169年ものあいだ続いた祭りがここで途絶えた、と記しています。紀元前から夏至のあとの満月に合わせて開かれてきた大会は、いったん完全に姿を消します。そしてそのまま、1500年ほど再開されませんでした。

1500年後の復興

眠っていた周期を、19世紀の終わりに呼び覚ました人物がいます。フランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタンです。

ブリタニカによれば、クーベルタンは1892年に初めてオリンピック復興を公に訴えましたが、反応はほとんどありませんでした。それでも彼はあきらめず、1894年、パリのソルボンヌで開いた国際会議で、アテネでの国際大会の開催を決議にこぎつけます。そして1896年、記念すべき第1回の近代オリンピックが、ふるさとであるギリシャのアテネで開かれました。

ここで見落とせないのは、クーベルタンが古代の枠組みをかなり意識してなぞったことです。4年という周期も、それをオリンピアードと呼ぶ数え方も、彼は古代からそのまま受け継ぎました。いま私たちが「4年に1度」と口にする間隔は、偶然そうなったのではなく、2000年以上前の暦にならって選び直されたものです。

数え続ける番号

古代のオリンピアードが年代の物差しだったように、近代のオリンピアードにも、その律儀さは残りました。番号は、大会が実際に開かれなくても、数えつづけられます。

笹川スポーツ財団の解説によれば、近代オリンピックには、2度の世界大戦で中止になった大会があります。第6オリンピアード(1916年・ベルリン予定)、第12オリンピアード(1940年・東京などが予定され返上)、第13オリンピアード(1944年・ロンドン予定)。いずれも大会そのものは開かれませんでした。それでも、オリンピアードの回次は飛ばされることなく、そのまま数えられています。開かれなかった第6回や第12回も、番号の上ではきちんと席が残っています。

2年ごとに見えるわけ

もっとも、最近は「2年に1度、何かのオリンピックがある」と感じる人も多いはずです。これは4年周期が崩れたわけではありません。夏と冬の大会を、互い違いの年にずらして開くようになったからです。冬季大会は1924年のシャモニー(フランス)に始まり、しばらくは夏と同じ年でした。ブリタニカによれば、1994年からは冬季と夏季が偶数年で交互に並ぶ形になり、結果として2年ごとにどちらかの大会が回ってくるようになりました。夏も冬も、それぞれは今もきっちり4年ごとです。

私たちが何気なく受け入れている「4年に1度」という間隔は、月と太陽のずれを合わせようとした、はるか昔の暦の名残でした。しかもそれは、ひとりでに続いてきたわけではありません。途中で1500年も途絶えたものを、19世紀の人間がわざわざ拾い直し、いまに引き継いだものです。

参考・出典

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