鉄が錆びるのは当たり前のこと、と思われています。自転車を雨ざらしにすれば赤茶けてくるし、古い釘は表面がざらつく。錆は「鉄が古くなった証拠」くらいに受け取られていて、わざわざ理由を問う人は多くないでしょう。
けれども、錆は鉄の上に外から積もった汚れではありません。鉄そのものが、別のものに変わってしまった姿です。そしてその変化を引き起こしているのは、電池や燃料電池を動かしているのと同じ種類の反応——酸化還元反応でした。同じしくみが、片方では電気を取り出す道具になり、もう片方では金属を静かに食べていく。そう考えると、見慣れた赤錆も少し違って見えてきます。
錆は鉄が姿を変えたもの
まず、錆の正体から確かめておきます。赤錆と呼ばれる、あのざらざらした赤褐色のものは、化学的にいえば酸化鉄、おおまかには Fe₂O₃ に水を含んだものです。鉄が空気中の酸素と結びついてできた、別の物質です。
ここで起きているのは「酸化」です。化学でいう酸化は、ただ酸素とくっつくことだけを指すのではなく、もう少し広く、原子が電子を手放すことを指します。鉄の場合、表面の鉄原子が電子を2つ放り出して、鉄イオン(Fe²⁺)になる。式で書けば Fe → Fe²⁺ + 2e⁻ です。電子を失った鉄は、もう金属としての鉄ではありません。
個人的に意外だったのは、錆が「外から付くもの」ではなく、鉄そのものが溶け出して姿を変えたものだという点でした。汚れが積もるイメージとは逆で、むしろ鉄が少しずつ目減りしていく現象なのです。錆びた鉄板に穴が空くのは、まさにその目減りの結果です。
ただし、鉄が勝手に電子を手放せるわけではありません。手放した電子を、誰かが受け取ってくれる必要があります。ここから話は、少しだけ電池に近づきます。
表面でひそかに働く小さな電池
東北大学の材料科学の解説では、鉄がイオンになるかどうかは「その電子を受け取る反応があるかどうかにかかっている」と説明されています。電子の出し手と受け手がそろって、はじめて反応が回り出すわけです。
では、鉄が放り出した電子は、どこへ行くのか。淡水でも海水でも、その役を引き受けるのは水に溶け込んだ酸素です。鉄の表面で、おおよそ次のような分業が起きています。
ある場所では鉄が電子を手放してイオンになる(Fe → Fe²⁺ + 2e⁻)。これがアノード、酸化が進む側です。別の場所では、金属の中を伝わってきた電子を酸素と水が受け取り、水酸化物イオンに変わる(O₂ + 2H₂O + 4e⁻ → 4OH⁻)。こちらがカソード、還元が進む側になります。
ひとつの金属の表面に、電子を出す場所と受け取る場所が無数にまだらに散らばっている。電子は金属の中を流れ、イオンは水の膜の中を移動して、回路がつながる。これはもう、ごく小さな電池そのものです。腐食の世界ではこれを局部電池と呼びます。
ここが、この記事でいちばん面白いと思うところです。乾電池や燃料電池では、私たちはこの電子の流れをわざわざ導線に通し、モーターを回したり明かりをつけたりして仕事をさせます。ところが錆では、同じ電子の受け渡しが金属の表面でその場限りに完結してしまう。導線のない、ショートしっぱなしの電池のようなものです。
放り出された鉄イオンは、水酸化物イオンと結びついて水酸化第一鉄 Fe(OH)₂ になります。これが不安定で、さらに酸化が進むと赤褐色の Fe₂O₃・nH₂O、すなわち赤錆へと変わる。防錆処理を扱う北東技研工業の解説でも、Fe(OH)₂ から赤錆へ落ち着いていくこの流れが示されていました。
錆びるのに要るもの
この小さな電池が回るには、条件がそろわなければなりません。同じ解説では、鉄が錆びるには「酸素・水・電解質」の3つが必要で、どれかひとつでも断てば電気化学的な腐食は起こらない、とまとめられています。乾いた環境で鉄が錆びにくいのは、その水がないから。電子を受け取る反応には酸素が水に溶けている必要があり、イオンが動く場も水が用意します。乾いた土地で古い鉄がさほど錆びずに残るのも、たぶん同じ理屈でしょう。
少し意外なのは電解質かもしれません。水にイオンが溶けていると電気が流れやすくなり、反応が速く進む。海沿いで鉄がよく錆びるのは、潮風の塩分が電解質としてはたらくからです。融雪剤をまいた道を走る車の下回りが傷みやすいのも同じで、真水より塩水のほうが鉄にはずっと手強い。
赤い錆と黒い錆
ところで、錆と一口にいっても、色が違うものがあります。赤錆のほかに、黒っぽい錆もある。両者の性格はかなり違います。
赤錆 Fe₂O₃ は、もろくて剥がれやすい。研磨の情報サイト toishi.info は、この赤錆を内部の保護には役立たないものとして黒錆と対比しています。表面を覆っても、剥がれた下からまた鉄が露出し、錆は内側へ食い込んでいく。黒錆のほうは四酸化三鉄 Fe₃O₄。自然界では磁鉄鉱(マグネタイト)として産する鉱物です。鉄の表面にできた Fe₃O₄ は黒錆、あるいは黒皮と呼ばれます。ウィキペディアの「四酸化三鉄」の項目にも、これが「非常に緻密な皮膜となって内部を保護する」とあります。同じ酸化鉄でも、もろく剥がれるものと、緻密に守るものがある。
この黒錆を、わざと作って使う道具があります。南部鉄器や中華鍋です。鋳物の表面を空焚きして緻密な黒錆の膜を育て、その膜で内部の腐食を抑える。害の大きい赤錆を、害の少ない黒錆で先回りして封じておく、という使い方です。
「錆びない金属」と言われるものも、実は酸化と無縁ではありません。アルミニウムやステンレスは、常温の大気中でも表面にごく薄く緻密な酸化物の膜が自然にでき、それが内部を守っている。これを不動態と呼びます。鉄にも不動態の状態はありますが、こちらは話が違います。日本水道鋼管協会のQ\&Aは電位-pH図をもとに、鉄では電位とpHが特定の範囲にあるときに不動態皮膜で腐食が止まる領域がある、と説明していました。アルミニウムのように放っておいて膜ができるわけではなく、アルカリ性などの条件や電気的な処理が要る。「錆びない」のではなく、できた膜がそれ以上の侵入を食い止めている、というのが実情に近いようです。
身代わりに溶ける金属
鉄を守る工夫の多くは、結局のところ「酸素・水・電解質」のどれかを断つか、あの小さな電池を別の方向へ仕向けるかに行き着きます。
塗装は分かりやすい例です。塗膜で表面を覆い、空気と水の接触を絶つ。素朴ですが効きます。めっきも金属の膜で覆う手ですが、こちらには一段ひねりがあります。
トタンとブリキの違いを思い出してみます。化学解説サイト「化学のグルメ」によれば、トタンは鉄に亜鉛(Zn)をめっきしたもの、ブリキは鉄に錫(Sn)をめっきしたものです。同じ「鉄に別の金属をかぶせた板」なのに、傷がついたときの運命が正反対になります。
鍵はイオン化傾向、つまり電子を手放しやすさの順番です。亜鉛は鉄より錆びやすい。だからトタンに傷がついて鉄が露出しても、まわりの亜鉛が先に溶け、鉄は溶けずに済む。亜鉛が身代わりになるわけです。逆にブリキでは、錫は鉄より錆びにくいぶん、傷がついて鉄が露出すると、今度は鉄のほうが先に溶けてしまう。だからトタンは傷のつきやすい屋根や外回りに、ブリキは缶詰やおもちゃのような傷みにくい用途に向く。
この「身代わりに溶ける」発想を、大きな構造物にそのまま使ったのが犠牲防食です。日本水道鋼管協会の説明では、守りたい金属に、それより錆びやすい金属(亜鉛・マグネシウム・アルミニウムなど)を電気的につなぎ、そちらを優先的に溶かして本体を守る、とされています。卑な金属のかたまりは流電陽極、あるいは犠牲陽極と呼ばれます。土に埋めたパイプラインではマグネシウム合金がよく使われ、船体や港湾の鋼材、海にさらされる構造物にも広く用いられている。
船底に取り付けられた亜鉛のかたまりが、船体の代わりに少しずつ溶けて鉄を守る。腐食を完全に止めるのではなく、安く取り替えのきく金属に肩代わりさせるわけです。役目を終えて痩せた亜鉛は、点検のたびに新しいものへ交換されます。
鉄は、いつか酸化物にもどる
ここまで来ると、ひとつの問いが残ります。そもそも、なぜ鉄はこれほど錆びたがるのか。
手がかりは、鉄がどこから来たかにあります。鉄の原料である鉄鉱石は、赤鉄鉱(主成分 Fe₂O₃)や磁鉄鉱(Fe₃O₄)といった酸化鉄です。地中の鉄は、もともと酸素と結びついた状態で眠っている。私たちが使う金属の鉄は、その酸化鉄から無理やり酸素を引きはがして作ったものです。
製鉄を扱う解説で確かめると、高炉のなかでは1,500℃を超える高温で、コークス(炭素)から生じた一酸化炭素が酸化鉄から酸素を奪っていきます。全体としては Fe₂O₃ + 3CO → 2Fe + 3CO₂。酸素を奪うこの反応は還元、酸化のちょうど逆です。莫大なエネルギーと炭素を投じて、酸化物だった鉄を金属の鉄へと引き上げている。
そう考えると、錆びるという現象の見え方が変わってきます。金属の鉄は、エネルギーを注いで無理に作り出した、不安定な状態でした。酸素と水がそばにあれば、鉄はゆっくりと、酸化物だったころの安定した姿へ戻っていく。人が製鉄で押し上げ、自然が時間をかけて押し戻す。錆とは、その押し戻しの途中経過なのでしょう。
最初に「鉄が錆びるのは当たり前」と書きました。その当たり前の底には、人が炉で逆らった反応を、時間が淡々と元へ戻していくという関係が横たわっています。錆びかけた鉄を見るとき、私たちはそこに流れた時間の量を見ているのかもしれません。
参考・出典
- 東北大学 工学部 材料科学総合学科「金属は何故さびるの?」 https://www.material.tohoku.ac.jp/dept/applicants/lecture/lecture03.html
- 北東技研工業株式会社「鉄の錆びるメカニズムと防錆処理の種類」 https://hokutohgiken.co.jp/鉄の錆びるメカニズムと防錆処理の種類/
- 日本水道鋼管協会(WSP)Q\&A「電気防食とはどのようなものですか?」 https://www.wsp.gr.jp/qanda/taikei-c-2.html
- 化学のグルメ「ブリキとトタン(違い・イオン化傾向に基づく錆びやすさの理由など)」 https://kimika.net/m2tetsumekki.html
- 化学のグルメ「鉄の工業的製法(手順・反応式・銑鉄・スラグ・鋼など)」 https://kimika.net/m2tetsuseiho.html
- 研削・研磨の総合情報サイト toishi.info「赤錆と黒錆の違い|赤錆から黒錆への転換」 https://www.toishi.info/metal/akasabi_kurosabi.html
- ウィキペディア「四酸化三鉄」 https://ja.wikipedia.org/wiki/四酸化三鉄


