なぜ薬は効くのか——受容体という見えない相手と、魔法の弾丸

頭が痛いとき、鎮痛薬を飲む。30分もすれば、たいてい痛みは引いています。当たり前の光景ですが、立ち止まると少し不思議です。飲み込んだ錠剤は胃で溶け、成分は血液に乗って全身をめぐる。心臓にも肝臓にも指先にも届くはずなのに、薬はちゃんと「痛みのもと」のところで働く。

どうして薬は、効くべき場所を知っているのでしょうか。

成分が体の中で何を相手にしているのか。そこを一段ほどくと、受容体・鍵と鍵穴・選択毒性という三つの言葉に行き当たります。順に見ていきます。

薬はまず、何かにくっつく

パウル・エールリヒという19世紀末の医師が、ラテン語の言い回しを残しています。corpora non agunt nisi fixata——「薬は結合しなければ作用しない」。

身も蓋もない言い方ですが、これが出発点です。薬の成分は、体の中をただ漂っているだけでは何も起こせません。標的となる分子に物理的にくっついて、はじめて作用が始まる。その「くっつかれる側」が受容体です。

受容体の正体は、たいていタンパク質です。MSDマニュアル プロフェッショナル版は、受容体を「化学シグナル伝達に関与し、活性化することで細胞の生化学的過程を直接的または間接的に制御する」高分子と説明しています。細胞の表面や内部に埋まっていて、特定の物質が結合すると、細胞の中でスイッチが入る。ホルモンや神経伝達物質といった、体がもともと使っている「内側からの鍵」が結合する場所でもあります。

薬は、その鍵穴に外から別の鍵を差し込む。乱暴に言えば、それだけのことです。だから、どの薬がどこに効くかは、「どの受容体にくっつけるか」でほぼ決まってしまう。血液に乗って全身をめぐっても、合う鍵穴のある場所でしか反応が起きないので、結果として薬は効くべき場所で働くように見えるわけです。

鍵と鍵穴、ただし少し柔らかい

この「鍵と鍵穴」という比喩、もとは薬の話ではありませんでした。

言い出したのは、ドイツの化学者エミール・フィッシャーです。彼が相手にしていたのは酵素と糖でした。よく似た形をした糖の立体異性体を、酵素が見分けて反応したりしなかったりする。その特異性を説明するために、1894年、フィッシャーは酵素と基質の関係を鍵と鍵穴にたとえました。形がぴったり合うものだけが反応する、という発想です。

ただ、初期のモデルはかなり硬いものでした。Microbe Notes の解説によれば、フィッシャーの鍵と鍵穴は、酵素の側があらかじめ決まった剛直な形をしていて、ぴたりと合う基質だけがはまる、というイメージだったといいます。錠前と物理的な鍵そのものです。

現実はもう少し柔らかい。のちに誘導適合(induced fit)という考えが出てきます。基質がくっつくと、酵素の側も形を少し変えて、握り込むように適合する——金属の鍵を差したら鍵穴の方が形を変えて手袋のように包む、と言えば近いでしょうか。受容体と薬の関係も、この「合えば反応する」「形が決め手になる」という原理を受け継いでいます。

調べていて面白かったのは、薬理学の根っこにある比喩が、もともとは砂糖と酵素の話から来ていたことでした。形で見分ける、という一点が、酵素から受容体へとそのまま流用されている。

くっつき方が同じでも、働きは逆になる

ところが、「受容体にくっつく」と一口に言っても、くっついた後の振る舞いは一つではありません。ここがこのテーマの面白いところだと思います。

脳科学辞典の「作動薬」の項目を読むと、薬は大きく二つに分かれます。一つは作動薬(アゴニスト)。受容体に結合して、それを活性化し、細胞の中の情報伝達を動かす。鍵を差して、回す側です。アドレナリンが受容体にくっついて心拍を上げるのが、その典型として挙げられています。

もう一つが拮抗薬(アンタゴニスト)。こちらは受容体にくっつくけれど、活性化させない。鍵穴にはまるのに回らない鍵、と言ってもいい。しかも、はまっている間は本来の鍵(体内のホルモンなど)が入れなくなる。いわゆるβ遮断薬が、心臓の受容体をふさいで反応を抑えるのは、この働きです。

ここで効いてくるのが、二つの別々の性質です。脳科学辞典は、受容体にどれだけくっつきやすいかを示す親和性と、くっついた後どれだけ強く受容体を働かせるかを示す効力(内活性)を区別しています。よくくっつくが働かせない薬、というものがありうる。拮抗薬はまさにそれで、親和性は高いが効力はゼロに近い。さらに、くっついても受容体を中途半端にしか動かさない部分作動薬まである。

「効く・効かない」という素朴な二択では、薬の働きは捉えきれない。くっつきやすさと、くっついた後の仕事ぶりは、別物なのです。

受容体は長いあいだ、姿の見えない相手だった

ここまで受容体を当たり前のように語ってきましたが、実はこの「相手」、ずいぶん長く正体不明のままでした。

受容体概念の歴史をたどった総説(Maehle による「A binding question: the evolution of the receptor concept」)を読むと、その曖昧さがよく分かります。イギリスの生理学者ジョン・ニューポート・ラングレーは、1905年、筋肉の中に何か特定の物質があって、それが薬や神経の信号を受け取るのだと考え、これを「受容物質(receptive substance)」と呼びました。一方のエールリヒは、もともと免疫の説明に使っていた「側鎖(side-chain)」という語を1900年に「受容体(Receptor)」へ改め、1907年になって、この考えが薬にも当てはまると認めています。言葉は早くに生まれていたわけです。

それでも、受容体が本当に存在するのかは、長く半信半疑のまま扱われました。1948年、レイモンド・アールキストがアドレナリンの受容体にα型とβ型の二種類があると提唱したとき、その論文はいったん専門誌に却下されています。1964年になっても、オランダの薬理学者デ・ヨングが受容体を「美しいが遠い女性」にたとえた、という話が残っている。手紙のやりとりから姿を想像しているけれど、実際に会ったことはない、というわけです。

潮目が変わったのは、理論ではなく薬でした。ジェームズ・ブラックが、受容体をふさぐという発想からβ遮断薬を設計し、1965年に世に出す。狙った受容体に合わせて薬を作ったら、本当に効いた。受容体という「見えない相手」を仮定すると新しい薬が作れる、と証明されたのです。ブラックは1988年にノーベル賞を受けています。会ったことのない女性が、たしかにそこにいた。

この一連の流れが、個人的にはこの記事でいちばん好きな部分です。概念が先にあって、薬が後から実在を裏づける、という順番が逆さまに見えて面白い。

自分は傷つけず、相手だけ

くっつく相手も、くっついた後の働きも分かった。けれど、薬にはもう一つ越えるべき難題があります。病気のもとだけを叩いて、自分の体は傷つけないこと。これが選択毒性です。

この発想を最初に持ち込んだのも、またエールリヒでした。Science History Institute の伝記によれば、彼は若い頃、細胞を色素で染める研究をしていて、ある色素が血液の特定の成分だけを選んで染めることに気づきます。色素がそんなに選り好みをするのなら、特定の病原体だけを選んで殺す物質も作れるのではないか——そう考えた。彼はこれを「魔法の弾丸(magic bullet)」と呼び、1906年には、化学者がやがて病原体だけを狙う物質を作れるようになる、と予言しています。

言葉だけでは終わりませんでした。エールリヒは、有機化学者ベルトハイムと、日本から来ていた細菌学者・秦佐八郎(はた さはちろう)とともに、ヒ素化合物を片端から作っては試していきます。サルバルサンの通称「606号」は、この試験で606番目にあたる化合物だった、という番号がそのまま名前になったものです。Britannica によれば、何百ものヒ素化合物を試した末、1909年に秦がこの606番目の化合物に効果を確かめました。当時不治とされた梅毒に効く、初めての化学療法薬です。

選択毒性が見事にはまった例が、その後に登場するペニシリンです。MSDマニュアルは、βラクタム系の薬剤が「細菌の細胞壁合成に必要な酵素に結合して不活化する」と説明しています。細菌は自分を守る細胞壁を持っていて、その材料がペプチドグリカンという物質。ペニシリンはこの壁を作る工程を邪魔します。ここで効いてくるのが、ヒトをはじめ動物の細胞には、そもそもこの種の細胞壁がない、という事実です。ペプチドグリカンを説明する資料でも、ペニシリンは「哺乳類が持たない細胞壁の合成を阻害するので選択性が高い」と整理されています。相手にしかない部品を狙えば、自分は無傷で済む。魔法の弾丸の、いちばん分かりやすい形です。

魔法の弾丸は、まだ完成していない

では、あらゆる薬がこのように鮮やかに効くのかというと、そうはいきません。

いちばんの難所が、がんです。細菌なら「相手にしかない部品」を狙えました。けれど、がん細胞はもともと自分の細胞が変化したものなので、正常な細胞との違いが小さい。狙うべき的が、自分自身とよく似ている。

そこで多くの抗がん剤は、「速く分裂する細胞」を狙う、という間接的な戦略をとります。がん細胞は盛んに分裂するからです。ところが、体の中には正常なのに速く分裂する細胞がある。髪の毛を作る細胞、血液を作る骨髄、消化管の内側。抗がん剤の副作用として脱毛や免疫の低下、吐き気が起きるのは、これらの細胞も巻き添えになるからです。選択毒性は、あるかないかの二択ではなく、どこまで差をつけられるかという程度の問題なのです。

頭痛のときに飲む一錠の裏には、これだけの仕組みがある。くっつく相手を見つけ、形を合わせ、自分は傷つけずに病気だけを叩く。エールリヒが魔法の弾丸という言葉を口にしてから100年以上が経ちますが、その弾丸は、まだ全部の的に当たるところまでは来ていません。

参考・出典

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