歴史

神戸の外国人居留地はなぜあそこにできたのか——「兵庫開港」と呼ばれた、3.5キロ東の砂地

開国のとき外国に開かれたのは、当然「神戸」だった——そう思いがちですが、幕府が条約で約束した開港地は神戸ではなく「兵庫」でした。しかも実際の外国人居留地が築かれたのは、その兵庫の中心から東へ3.5キロ離れた砂地の神戸村。京都に近い港を嫌った朝廷、水深を測った英国公使、上海帰りの技師が引いた碁盤の目——「兵庫開港」と呼ばれながら神戸にできた居留地の理由をたどります。
科学

化石はなぜ残るのか——速く埋もれた骨だけが、石になる

何億年も前の生き物の姿を、私たちは化石で知ります。でも、死んだ生き物のほとんどは化石にならず、跡形もなく消えていきます。残るかどうかを分けるのは、死んだ直後の数日でした。速い埋没で腐敗を止め、地下水の鉱物が骨に染み込んで石に置き換わる——その条件を、化石化の仕組み、軟体部まで残る奇跡の地層ラーゲルシュテッテン、そして化石記録そのものの偏り(タフォノミー)からたどります。
科学

地震の「マグニチュード」と「震度」は何が違うのか——「1」増えると、エネルギーは32倍

地震速報の「マグニチュード」と「震度」を、なんとなく同じものだと思っていないでしょうか。マグニチュードは地震そのものの規模で、一つの地震に一つだけ。震度は各地点の揺れの強さで、場所ごとに変わります。マグニチュードは対数の尺度で、1増えるとエネルギーは約32倍。巨大地震では頭打ちするため、東日本大震災は速報M7.9が最終的にMw9.0へと修正されました。二つの尺度が何を測っているのかを、物理から整理します。
歴史

和暦と元号——吉凶で改め、最後は法律で残した

「令和」で日本はおよそ248番目(数え方では232とも)の元号を迎えました。もとは古代中国で皇帝が時間まで支配する装置として生まれ、日本では645年の「大化」に始まります。めでたい瑞兆でも、災害や疫病でも、干支の巡りでも改元してきた歴史、明治の一世一元、戦後にいったん法的根拠を失い1979年の元号法で残った経緯、そして「永」が29回も選ばれた2字の縁起までをたどります。
技術

コンクリートはなぜ1000年もつのか——欠陥とされた石灰の粒が、ひびをふさぐ

古代ローマのコンクリートは2,000年経っても崩れず、海中の防波堤はむしろ強くなっています。一方、現代の鉄筋コンクリートの寿命は50〜100年ほど。この差はどこから来るのでしょうか。長く欠陥と見られてきた「石灰の白い粒」が、じつはひびを自分でふさぐ自己修復の鍵だった——2023年のMITの研究を入り口に、海水が育てる鉱物、現代コンクリートが鉄筋とともに朽ちる仕組み、そして速さと寿命のトレードオフまでをたどります。
言葉

カタカナ語はなぜ定着するものと消えるものがあるのか——クラスターは残り、オーバーシュートは消えた

新しいカタカナ語は次々と生まれますが、定着して辞書に残るものと、数年で消えるものがあります。両者を分けるのは何でしょうか。コロナ禍の「クラスター」と「オーバーシュート」の明暗を入り口に、言い換えがきかない・語彙の中に居場所がある・日本語の口に合う長さに縮む・意味が育つ、といった生き残りの条件をたどります。戦時中の敵性語排斥や国立国語研究所の言い換え提案からは、言葉を上から操作することの難しさも見えてきます。
歴史

「天皇」はいつ生まれたのか——「大王」から改めた7世紀と、定説を動かした木簡

「天皇」という称号は最初からあったわけではありません。7世紀まで、日本の王は「大王(オオキミ)」と呼ばれていました。いつ「天皇」へ変わったのかは長く論争で、推古朝説と天武朝説が対立してきました。流れを変えたのが飛鳥池遺跡から出た木簡です。遣隋使の国書、唐の高宗、道教の北極星、そして律令と明治の法制化まで、一つの称号が生まれ定着するまでをたどります。
科学

原子時計はなぜそんなに正確なのか——地球の自転をやめ、原子の振動に「1秒」を預けるまで

いまの「1秒」は地球の自転ではなく、セシウム原子が約92億回振動する時間で定められています。原子時計が桁外れに正確なのは、原子の振動には個体差も経年変化もないから。レーザーで原子を冷やすセシウム原子泉時計、光で刻む光格子時計、そして原子核を使う次世代時計まで、「1秒」を地球から原子へ、さらにその先へ預けてきた歩みと、その正確さがGPSや通信を支えるしくみをたどります。
歴史

平清盛はなぜ神戸に港を作ったのか——都に近い港と、海に沈めた経文の石

平清盛は私財を投じて神戸の港・大輪田泊を整えました。船を悩ませた南東の風をふせぐため、海に石を沈めて人工島まで築いています。狙いは、宋の船を博多で止めず瀬戸内海の奥、都のすぐ近くまで引き込むこと。法皇に宋人を引き合わせて貴族を仰天させた賭けから、福原遷都の夢、清盛の死後に兵庫津・神戸港へと受け継がれた港の来歴までをたどります。
歴史

灘の酒はなぜ「辛口」なのか——宮水の硬さと、江戸がえらんだ味

菊正宗も白鶴も、灘の酒はそろって「辛口」を看板にします。その辛さは、西宮で湧く硬い水「宮水」の化学と、はるばる江戸まで運ばれた市場の事情が重なって生まれたものでした。水を入れ替えて味の謎を突き止めた酒蔵の話から、樽廻船が運んだ年間100万樽の酒まで、灘が「男酒」になった理由をたどります。