腕時計のズレを気にする人は少なくない。1日に数秒ずれても、生活にはさほど支障がない。では、数千万年に1秒しかずれない時計が存在するとしたら、それは何のためにあるのだろうか。
原子時計は、そのような精度を実現した時計である。しかもそれは、単に「正確な時刻を知るため」の道具にとどまらず、現代社会のあらゆるインフラを支える基盤となっている。なぜ原子を使うと、これほどの精度が達成できるのか。
「1秒」はどのように決まってきたか
かつて1秒は、地球の自転をもとに定義されていた。1日を86,400等分した時間の長さ、というのがその考え方だ。しかし地球の自転速度はわずかながら変動することが明らかになり、この定義は安定した基準とはなりえなかった。その後、地球の公転周期を基準にした定義への移行を経て、1967年、ついく「1秒」の定義は根本から変わった。
現行の定義では、1秒は「セシウム133原子が放出・吸収する電磁波が91億9263万1770回振動する時間」とされている。この定義の背景には、原子の持つ根本的な性質がある。
原子の「固有の振動」が基準になる理由
すべての原子は、固有の共鳴周波数を持っている。原子はその周波数の電磁波だけを吸収・放出する性質があり、この周波数は原子の種類が同じであれば、宇宙のどこでも、いつでも同じ値を示す。温度や圧力といった外部環境の影響を受けにくく、経年変化もない。
原子時計は、この性質を利用する。セシウム原子にマイクロ波を照射し、ちょうど共鳴周波数に一致したとき(91億9263万1770Hz)だけセシウム原子のエネルギー状態が変化する(これを「励起」という)。この励起が起きたことを確認することで、マイクロ波の周波数が正確に91億9263万1770Hzであると証明できる。周波数が決まれば、その周期の積み重ねで時間を刻める。原子時計は本質的に、時刻を表示する装置というよりも「正確な周波数の基準器」であり、正式名称も「原子周波数標準器」という。
クオーツ時計が水晶の振動(一般に32,768Hz)を基準にするのに対して、原子時計が利用する周波数は桁違いに高い。周波数が高いほど、時間の刻みが細かくなり、測定精度が上がる。これが原子時計の基本的な優位性の一つだ。
精度を上げる技術的な工夫
原子の共鳴周波数は理論上不変だが、実際の測定には「不確かさ」をもたらす要因がいくつもある。
最初の課題が、原子の熱運動だ。セシウムは常温では固体のため、測定に使うには気体にする必要がある。気体になると原子は平均300m/s近くという速度で飛び回り、相対性理論上の時間の遅れ(いわゆるウラシマ効果)が生じる。これが測定誤差につながる。
もう一つが、観測時間の短さだ。原子が時計の中を高速で飛び通るため、マイクロ波を照射して共鳴状態を確認できる時間が極めて短くなる。観測時間が短いほど、周波数の特定精度が下がる。
産業技術総合研究所(産総研)が開発した一次周波数標準器「NMIJ-F2」は、これらの問題を解決するため、「ドップラー冷却」と「原子泉方式」という技術を採用している。まず6方向からレーザーを照射して原子の動きを限りなくゼロに近づけて冷却し、その後、冷やした原子を上方に放り投げ、上昇時と落下時の2回にわたってマイクロ波を照射する。このとき原子の速度は4m/s程度まで落ちており、観測時間を大幅に延ばせる。この方式により、「NMIJ-F2」は7000万年に1秒しかずれない精度(10-16)を実現している。
精度に影響する要因は熱運動や観測時間の短さだけではない。磁場・電場の影響、原子同士の衝突、装置自体の熱放射、さらには重力(高い場所では時間の流れがわずかに速くなる)なども誤差の原因となる。これらを精密に見積もり、補正する作業が、高精度な原子時計の開発において不可欠な工程となっている。
精度はどこまで上がるのか——光格子時計の登場
セシウム原子時計は9.2GHz帯のマイクロ波を使うが、光の振動数はその約5桁高い。光を基準に使えば、さらに細かく時間を刻めることになる。この発想から生まれたのが「光格子時計」だ。
東京大学の香取秀俊教授が考案したこの時計は、特殊なレーザー光(「魔法波長」と呼ばれる)で作った格子の中に原子を閉じ込め、光を使って共鳴周波数を測定する。格子に閉じ込めることで原子の運動を抑えながら、「魔法波長」によって格子自体が原子の周波数に与える影響をキャンセルしているのが技術的な肝である。
情報通信研究機構(NICT)が開発したストロンチウム光格子時計は、2022年、世界で初めて国家標準時(日本標準時)の生成に光格子時計を使用することに成功した。その精度は16桁(10-16)であり、協定世界時(UTC)との時刻差を従来の4分の1以下に抑えることを実現した。
精密な時計が社会を支えている
原子時計の恩恵を最も身近に感じられるのが、GPS(全地球測位システム)だろう。GPS衛星は地球を高速で周回しながら電波を発信し、地上の受信機との時間差から位置を計算する。光は1秒間に約30万km進む。位置を1メートルの精度で測るには、3ナノ秒(30億分の1秒)以内の時刻精度が必要だ。このような精度は、クオーツ時計では到底実現できず、原子時計なしにはGPSは成立しない。
携帯電話の基地局、インターネットの通信網、電力系統の制御なども、精密な時刻同期に依存している。正確な1秒の定義は、現代のデジタルインフラ全体の前提条件となっている。
まとめ
- 1秒の現行定義は、セシウム133原子の共鳴周波数に基づいている
- 原子は種類ごとに固有の共鳴周波数を持ち、外部環境に左右されにくいことが高精度の根拠
- ドップラー冷却と原子泉方式により、原子の熱運動が引き起こす誤差を大幅に低減できる
- 光格子時計はセシウム原子時計をさらに上回る精度を持ち、秒の再定義の候補として議論されている
- GPS・通信・電力など、現代インフラの精密な時刻同期を支えているのが原子時計である
考察——「完全な時計」を追い求めることの意味
時計の歴史は、より安定した「繰り返し」を求める歴史だといえる。振り子から水晶へ、水晶から原子へと基準が移るにつれ、時間の刻みはより普遍的な自然現象に近づいてきた。原子の共鳴周波数は、地球上でも宇宙でも変わらない。
しかし、それでも精度の追求は終わらない。光格子時計の次には、「原子核時計」の実現が視野に入っている。原子核の遷移は外部電磁場の影響を電子軌道よりも受けにくいため、理論上は138億年(宇宙の現在の推定年齢)で1秒もずれない精度に達しうるという。
なぜそこまで正確である必要があるのか。答えはおそらく、精度の向上が単なる時刻の確認を超えて、重力や時空のわずかな変化を観測する手段になるからだ。超高精度の時計は、物理定数の変動や重力波の検出、地下構造の探査にまで応用できる可能性を持つ。時計は、宇宙を測る道具になりつつある。
まとめ
原子の共鳴周波数という変わらない自然の性質を利用することで、原子時計は現行の「1秒」そのものを定義するに至った。精度を追求する技術は、日常の時刻管理から現代インフラの基盤、さらには宇宙の探求へとその射程を広げ続けている。
参考・出典
- 産業技術総合研究所(産総研)「世界でいちばん正確な1秒!——テクノロジーと「不確かさ」とのあくなき闘い」 https://www.aist.go.jp/science_town/reading/10/
- セイコーミュージアム銀座「原子時計」 https://museum.seiko.co.jp/knowledge/Quartz02/
- 国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)「NICTの光格子時計が史上最高精度で協定世界時の1秒の正確さを評価」(2022年4月22日) https://www.nict.go.jp/publicity/topics/2022/04/22-1.html
- 国立研究開発法人 情報通信研究機構(NICT)「世界初、国家標準時の維持に光格子時計を利用」(2022年6月9日) https://www.nict.go.jp/press/2022/06/09-1.html
- 大型放射光施設 SPring-8「138億年で1秒もずれない”原子核時計”の実現を目指す」 http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_99/


