色はなぜ見えるのか——光そのものに色はない、という出発点

色はなぜ見えるのか——光そのものに色はない、という出発点 科学

朝、カーテンを開けて空の青を見て、台所に置いたリンゴの赤を見る。色はそこにある——たいていの人はそう感じています。リンゴは赤い、空は青い、葉は緑。色は物に備わった性質で、目はそれをそのまま受け取っているだけだ、と。

ところが、光の研究を一変させたアイザック・ニュートンは、ほぼ逆のことを書き残しています。プリズムで白い光を虹色に分けてみせた『光学』の中で、彼は「光線は、正確に言えば色を持たない」と述べました。光線にあるのは、見る者の内側に「この色」「あの色」という感覚を呼び起こす力(power)だけだ、というのです。ロンドン王立協会がまとめたニュートン論の解説でも、この発想の転換——白い光こそが多くの光線の混合であって、色は光線に貼りついた質ではない——が彼の核心として紹介されています。

色は、物にも、光そのものにも、はじめから貼りついてはいない。では、いったいどこで生まれているのか。光から目、そして脳へとたどっていくと、色がいくつもの段階を経て「つくられて」いく様子が見えてきます。

光に色はない、という出発点

私たちが色として感じているもとをたどると、まず電磁波の波長に行き着きます。電磁波のうち、人の目が光として捉えられるのはごく狭い帯で、NASAの解説によれば波長およそ380〜700ナノメートルの範囲です。短いほうの端が紫、長いほうの端が赤で、その間に青・緑・黄・橙が連続して並びます。

ニュートンがプリズムで示したのは、白い太陽光がこの帯のさまざまな波長を最初から含んでいて、ガラスの中で波長ごとに少しずつ違う角度に曲がるために虹色へ分かれる、ということでした。雨上がりの虹も原理は同じで、空気中の水滴がプリズムの役を果たします。白は「色のない素の光」ではなく、むしろ全部入りだったわけです。

ここで大事なのは、波長そのものは長さの違いでしかなく、「赤い波長」「青い波長」という色札が付いているわけではない、という点です。560ナノメートル前後の光が緑っぽく感じられるのは事実ですが、その緑は波長の中にあるのではなく、あとで目と脳が割り当てたものです。

物が「色を持つ」ように見えるわけ

では、リンゴはなぜ赤く、レモンはなぜ黄色いのか。物そのものが色を発しているわけではありません。日中に物が見えるのは、白い光が物に当たり、その一部を反射しているからです。表面は当たった光のうち特定の波長を吸収し、残りをはね返す。リンゴの皮は赤や橙を多く返して青や緑を吸い、レモンは黄の周辺を返し、雪はどの波長もまんべんなく反射するから白く、炭はほとんど吸ってしまうから黒い。NASAはこの「どの波長を返すか」の固有のパターンを分光シグネチャと呼び、衛星から植生や雪面を見分ける手がかりにしています。

ややこしいのはこの先です。夕方のオレンジがかった光の下と、白い蛍光灯の下では、同じリンゴでも目に届く光の波長構成は違う。物は変わっていないのに、反射してくる光だけが変わります。それでもリンゴが「だいたい同じ赤」に見える理由は、脳の話までとっておきます。

目はどこで色を拾うのか

反射した光は目に入り、網膜に届きます。網膜には光を受け取る細胞が2種類あって、役割がはっきり分かれています。桿体(かんたい)は暗いところでよく働き、わずかな光でも明暗を捉えますが、色は区別しません。夜道や暗い映画館で、ものの形は分かるのに色がくすんで見えるのは、桿体が主役を務めているからです。

色を担うのはもう一方の錐体(すいたい)で、明るい場所で働きます。ヒトの錐体は3種類あり、感度のピークがそれぞれ違う波長にあります。米ピッツバーグ大学の視覚学データベース「Webvision」の解説では、短波長に反応するS錐体がおよそ440ナノメートル、中波長のM錐体が545ナノメートル前後、長波長のL錐体が565ナノメートル付近にピークを持つとされています(測定や個人差で多少前後し、S錐体を420ナノメートル付近とする資料もあります)。S・M・Lはそれぞれ青・緑・赤の方向に効く、とざっくり言われることもありますが、各錐体の感度はかなり広く、しかも互いに大きく重なっています。

ここからが少し意外です。世界には無数の色があるのに、それを拾うセンサーはたった3種類しかない。脳が手にしているのは「S・M・Lがそれぞれどれくらい反応したか」という3つの数値の組だけです。だから、波長の中身がまったく違う2つの光でも、3つの錐体の反応比が同じになれば、私たちには同じ色に見えてしまう。たとえば単一波長の黄色の光と、赤と緑の光を混ぜた光は、物理的には別物なのに同じ黄色に見える。テレビやスマホの画面が赤・緑・青の3点だけであらゆる色を再現できるのも、結局は「3つの数値さえ合えば同じ色」というこの仕組みを逆手に取っているからです。

赤と緑が、同時には見えない

錐体が3種類ある、という事実から、色覚は3つの原色の足し算で説明できそうに思えます。実際、1802年にトマス・ヤングが唱え、のちにヘルムホルツが整えた三色説は、まさにその路線でした。3種類の受容体の反応を混ぜれば、見えるすべての色を説明できる、と。

ところが、これだけでは説明しきれない現象があります。たとえば、赤い面をしばらく見つめてから白い壁に視線を移すと、緑がかった残像が浮かびます。青の残像は黄に、というふうに、必ず決まった相手の色が現れる。さらに、私たちは「赤みがかった緑」や「青みがかった黄色」という色を思い浮かべることができません。赤と緑、青と黄は、どうやら同居できない関係にあるようです。

これを説明したのが、1870年代にエヴァルト・ヘリングが提唱した反対色説でした。色は赤と緑、青と黄、そして明と暗という対になったチャンネルで処理されていて、一方が強まれば他方が抑えられる、という考えです。長らく三色説と対立する説とみなされてきましたが、決着は意外な形でつきました。1957年にレオ・ハーヴィッチとドロテア・ジェイムソンが、ある色みを反対の色光で打ち消していく実験で反対色チャンネルの強さを実測し、ヘリングの説に数量的な裏づけを与えたのです。

いまでは両者は段階の違いとして理解されています。Webvisionの説明では、まず網膜で3種類の錐体が光を受け取り(ここまでが三色説の領分)、その信号がすぐ次の段階——網膜の水平細胞のあたりから——で赤緑・青黄・明暗の差分へ組み替えられます。つまり脳に送られるのは「Sがいくつ、Mがいくつ」という生の値ではなく、「赤寄りか緑寄りか」「青寄りか黄寄りか」という引き算の結果です。赤と緑が同時に立たないのは、両者が同じ一本の物差しの両端に割り当てられているからでした。

同じ服が、白金にも青黒にも

ここまでで光・物・目をたどってきましたが、色を最終的に決めているのは脳です。そのことが、日常からはみ出さない形で誰の目にも見えたのが、2015年の「あのドレス」騒動でした。

一枚のドレスの写真をめぐって、「白と金」に見える人と「青と黒」に見える人に、世界中が真っ二つに割れました。同じ画像なのに、です。鍵を握るのは色の恒常性と呼ばれる脳の働きです。私たちの視覚は、照明が朝日でも夕日でも蛍光灯でも、物の色をなるべく一定に保とうとします。そのために、脳は「いまどんな色の光が当たっているか」を無意識に推定し、その分を差し引いてから物の色を決めている。屋外の白い紙が夕方に赤らんで見えないのは、脳が夕日のぶんを割り引いているからです。

ドレスの写真は、この照明の推定がしにくい一枚でした。Journal of Visionに載った研究は、人によって前提とする照明の傾向(illumination prior)が違うために見え方が割れた、と論じています。写真の青みを「青い照明のせい」と読んだ脳は、それを差し引いて生地を白と金と判断し、青みを生地そのものの色と読んだ脳は青と黒と判断する。同じ研究では、ふだん明るい昼の光に多く触れる人と、夕方以降の暖色の光に親しむ人とで、推定が傾く可能性も示唆されています。網膜に映る光は誰の目でも同じなのに、脳がどんな照明を仮定するかで、出てくる色が分かれる。

動物が見ている、違う色

「3種類の錐体」はヒトの話であって、生き物すべての標準ではありません。イヌやネコをはじめ多くの哺乳類は錐体を2種類しか持たない二色型で、ヒトでいう赤と緑の区別が苦手です。一方、鳥や多くの爬虫類・昆虫は錐体が4種類の四色型で、しかもそのうち1つは紫外線に届きます。花の蜜標や鳥の羽根には、人には見えず紫外線でだけ浮かび上がる模様があり、彼らはそれを当たり前に見ています。

面白いのは、私たちヒトを含む霊長類の三色型が、いったん失われた色覚の「取り戻し」だという点です。脊椎動物の遠い祖先は4種類のオプシン(光に反応するたんぱく質)を持つ四色型だったとみられますが、恐竜が栄えた時代、夜行性に適応した初期の哺乳類はそのうち2種類を失い、二色型にやせ細りました。夜の暗がりでは色より明暗のほうが頼りになる、という事情があったと考えられています。

ところがおよそ3000万年前、旧世界ザル(ヒトやチンパンジーの系統)の祖先で、X染色体上の長波長オプシン遺伝子が重複し、配列がわずかにずれてM錐体とL錐体に分かれました。こうして三色型が復活します。なぜそれが有利だったのか。有力なのは食物探索との結びつきで、L錐体とM錐体の感度差は、緑の葉を背景に赤く熟した果実を見つけるのにちょうど都合がよい、という議論があります。若い赤みがかった葉ほどたんぱく質に富む、という葉食の利点を挙げる説もあります。

獲得の経路は系統で違います。1999年にジェイ・ネイサンズらが報告したオプシン遺伝子の比較研究によれば、旧世界ザルがX染色体上に独立した2つの遺伝子を並べて持ち全員が三色型なのに対し、多くの新世界ザルは1つの遺伝子に複数の型がある多型でまかなっています。このため新世界ザルでは、2本のX染色体に別々の型を持てる一部のメスだけが三色型で、オスは二色型にとどまります。例外的に、葉をよく食べるホエザルだけは新世界ザルでありながら別途の遺伝子重複で全個体が三色型を手に入れた、という報告もあります。

色は物の中にも、光の中にもなく、それらが目と脳で出会ったところに、そのつど立ち上がります。ニュートンが「光線に色はない」と書いたのは、色を物理から追い払うためというより、それがどこで生まれるのかを問い直す一歩だったのでしょう。同じリンゴを見ても、隣の人と、まして別の生き物と、自分がまったく同じ赤を見ている保証は、どこにもありません。

参考・出典

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