音速の壁はなぜ「壁」だったのか——たとえが生んだ言葉と、遷音速の三つの難所

音速の壁はなぜ「壁」だったのか——たとえが生んだ言葉と、遷音速の三つの難所 科学

「音速の壁」という言葉には、どこかSFめいた響きがあります。空のある高さに透明な壁が立っていて、それを突き破る——そんな絵を思い浮かべる人もいるでしょう。

けれど、そんな壁はどこにもありません。にもかかわらず、この「壁」に挑んだパイロットは、本物の壁にぶつかったように命を落としました。壁がないのに、なぜ壁のように人を阻んだのか。

「壁」という言葉は、言いまわしから生まれた

そもそも、この言葉のはじまりがやや不名誉です。

1935年、イギリスの空力学者W・F・ヒルトンが、音速に近づくと翼の抵抗が「壁のように(like a barrier)」急に立ち上がる、と説明しました。あくまで抵抗の増え方をたとえた言い方です。ところが新聞はこれを、まるで突破できない壁があるかのように書き立てました。NASAの航空史(SP-4219)は、「音速の壁」という言葉がこうした誇張から広まったと記しています。

そもそも物体が音速を超えること自体は、まったく珍しくありません。弾丸はとうに超音速ですし、振り下ろした鞭の先が鳴らす「パチン」という音は、先端が音速を超えて起こす小さな衝撃波です。人類は数千年前から、音より速いものを手にしていました。

問題は、物体が超音速になることではありませんでした。人を乗せた飛行機が、その手前の速度でうまく飛べなかったことです。

遷音速で、何が起きていたのか

やっかいなのは、音速そのものよりも、その少し手前から続く「遷音速」と呼ばれる領域でした。だいたいマッハ0.8から1.2あたり。ここで困った現象が連鎖します。

まず、衝撃波と抵抗。機体全体はまだ音速以下でも、翼の上面では気流が局所的に加速して、先に音速を超えてしまいます。するとそこに衝撃波ができ、抵抗が急に跳ね上がる。NACA(NASAの前身)のジョン・スタックらは、1934年にはシュリーレン写真で翼面の衝撃波をとらえ、この仕組みを確かめていました。

次に厄介なのが、振動です。衝撃波の後ろでは気流が翼の表面から剥がれ、揚力が急に落ちて、機体が激しく震える。バフェッティングと呼ばれます。

三つ目が、いちばん恐ろしい。衝撃波の後ろで気流が乱れると、揚力の中心が後ろへずれて、機首が勝手に下がりはじめます。マッハタックです。しかも同じ理由で、機首を上げるための昇降舵が乱れた気流のなかでほとんど効かなくなる。下を向いて加速していくのに、引き起こせない。降下するほど速度が増し、いっそう深みにはまります。

見落としやすいのは、この抵抗の急増が遷音速の一区間だけのものだという点です。完全に超音速へ抜けてしまえば衝撃波のかたちが変わり、抵抗はむしろ下がります。越えれば下りになる山が、ちょうど手前に立ちはだかっていました。

壁に挑んで、人が死んだ

この山は、机上の話ではありません。

第二次大戦の高速戦闘機は、急降下でうっかりこの領域に入り込みました。アメリカのP-38ライトニングはその典型で、回復できない「圧縮性ダイブ」に陥る事故が相次ぎます。Vintage Aviation News の記事によれば、1941年にはテストパイロットのラルフ・ヴァーデンがこの症状で墜落し、亡くなっています。

イギリスでも犠牲が出ています。1946年9月27日、デ・ハビランド社の主任テストパイロットで、創業者の息子でもあったジェフリー・デ・ハビランド・ジュニアが、後退翼の実験機DH.108の高速降下中に空中分解して亡くなりました。速度はマッハ0.9ほど。皮肉なことに、この機体自体は超音速には届いていません。

1947年、X-1が越えた

その山を初めて越えたのが、1947年10月14日でした。

機体はベルX-1。チャック・イェーガー大尉が操縦し、妻の名にちなんで「Glamorous Glennis」と名づけられた、弾の形をまねて設計されたずんぐりした機体です。自力で離陸する力はなく、B-29爆撃機の胴体に吊られて高度6000メートルほどまで運ばれ、そこで切り離されてからロケットエンジンに点火します。機体はさらに上昇し、高度およそ1万3000メートルでマッハ1.06に達しました。記録によれば、このときマッハ計の針が0.965から1.06へふいに跳び、特別な衝撃も手応えもなかったといいます。あれほど恐れられた向こう側は、拍子抜けするほど静かでした。

鍵は、派手なエンジンより地味な尾翼

X-1の突破を支えたのは、ロケットの推力そのものよりも、一枚の尾翼の工夫でした。

さきほど書いたとおり、遷音速では昇降舵が効かなくなります。ふつうの飛行機の水平尾翼は、固定された安定板に小さな舵を蝶番でつけた構造で、衝撃波の後ろではこの小さな舵がまるで仕事をしません。そこでX-1は、NACAの助言を受けて、水平安定板そのものをパイロットが飛行中に丸ごと動かせる方式を採りました。実際にマッハ0.94付近で昇降舵が効かなくなったとき、この可動式の尾翼でなんとか機首の上げ下げを保てると分かったのです。以後の超音速機の多くが、この全可動式の水平尾翼を採るようになります。

工夫はほかにもありました。翼を後ろへ斜めに引いた後退翼は、衝撃波のできはじめる速度を上げて、抵抗の急増を遅らせます。さらに1950年代、NACAのリチャード・ホイットコムが「エリアルール」を見つけました。機体を前から後ろまで輪切りにしたときの断面積の変化を、なめらかな曲線に保つほど遷音速の抵抗が減る、という原理です。胴体の真ん中をコーラ瓶のようにくびれさせるあの形は、これを実地に移したもの。うまく飛べなかった戦闘機F-102がこの改修で救われ、速度がおよそ25パーセント改善しました。

「最初の一人」をめぐる小さな論争

ついでに触れておくと、「音速を最初に破ったのは誰か」には異論もあります。

ノースアメリカン社のテストパイロット、ジョージ・ウェルチが、同じ1947年10月14日、イェーガーより20分ほど早く、後退翼のXP-86の降下中に音速を超えていた、という主張です。ただ、イェーガーが水平の定常飛行で越えたのに対し、ウェルチのほうは急降下中の話で、XP-86側が正式にマッハ1超えを主張したのは翌1948年、計測の記録も乏しい。公式の記録としては、有人・水平飛行での最初の超音速はX-1とされています。

壁の正体

だから「壁」は、空に立っていたわけではありません。遷音速というせまい区間に、抵抗の急増と操縦不能が折り重なった山が、壁と呼ばれていただけです。言いまわしが新聞で大きくなった言葉——とはいえ、その手前で現に人が落ちている以上、笑ってすませる話でもありませんでした。

参考・出典

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