子どものころ、方位磁針は北極を指していると教わった記憶があります。針の赤いほうが北極を向いていて、だから地図と重ねれば自分の向きがわかる、と理解していました。単純で、疑う余地もなさそうに聞こえました。
ところが登山用の地形図を開くと、話が合わなくなります。図の余白には「西偏7度」といった但し書きがあり、地図の北と磁石の北がずれていることが前提になっています。ずれるくらいなら、針はいったい何を目がけているのでしょうか。
針は磁極を指していない
カナダ天然資源省の地磁気解説は、この点を正面から否定しています。多くの人はコンパスの針が北磁極を指していると信じているが、それは正しくない、針に従って歩き続ければいずれ北磁極に着くけれども、それは最短経路ではない、と。
針が従っているのは、その場所を通る地球磁場の水平成分です。磁力線は極に向かって放射状にきれいに収束しているわけではなく、地域ごとにゆがんでいます。針は目的地を知らず、足元の場の向きにそろっているだけ。ついでに書いておくと、地球の北側にあるのは磁石としてはS極にあたります。だから針のN極がそちらを向きます。名前と実体が、ここでもねじれています。
ややこしいことに、「北の磁極」と呼ばれるものも一つではありません。磁力線が真下を向く、つまり伏角が90度になる地点が北磁極です。地球の磁場を1本の棒磁石で近似したときの軸が地表と交わる点が地磁気極。両者は別の場所にあり、米海洋大気庁のデータではこの双極子の軸が地球の自転軸に対しておよそ9.21度傾いています。
偏角
真北と磁北のずれを偏角といいます。日本では針が真北より西へ振れるので、西偏と呼ばれます。
国土地理院の解説によれば、札幌では磁北の向きが地図の北よりおよそ10度西へずれ、那覇ではそのずれが約6度。同じ国の中でこれだけ違います。10度のずれは、1キロ歩けば横方向に170メートルほどの差になる計算です。だから地形図に磁北線を引き、コンパスの読みを補正してから歩きます。
さらに、この値は動きます。地理院は磁気図を1970年から10年ごとに、近年は5年ごとに公開していて、最新は2020.0年値。偏角の数値データは2次メッシュごとに10分単位で提供されています。全国平均でみると、過去50年に西向きの偏角が約1.4度大きくなったそうです。
動く北
偏角が動く背景には、地球内部の磁場そのもののゆっくりした変化があり、磁極の移動もその現れです。
北磁極は19世紀にジェームズ・クラーク・ロスがカナダ北極圏で発見して以来、同じ場所にとどまってはいません。しかも近年、足が速くなりました。Phys.orgが伝えるところでは、2000年の時点で計測された速度は年10キロほど。それが直近では年50キロに達しています。NOAAの地磁気FAQの数字はもう少し大きく、現在の北磁極は北北西へ年およそ55キロ。向かう先はカナダ北極圏からシベリア方向で、カナダ側で磁場が弱まりシベリア側で強まったことが極を引いているとみられています。ただ、なぜ速くなったのかはわかっていません。外核の中を流れるジェット状の流れを想定する仮説が出ています。
この読みにくさが、実務に響いた例があります。世界磁気モデル(WMM)は通常5年ごとに更新され、2015年版の次は2019年末の予定でした。ところが北極域の変動が大きすぎて誤差が許容範囲を超えかけ、2019年2月に臨時版が出ています。NOAAの発表が挙げる利用先は、潜水艦や航空機の航法、捜索救難、そしてスマートフォンの地図やコンパスアプリまで。
滑走路の番号も、例外ではありません。番号は磁方位を10で割った値なので、偏角が動けば付け替えが必要になります。
もっと長い目で見れば、北と南が入れ替わることもあります。NOAAによれば、直近の地磁気逆転が起きたのは約75万年から78万年前。逆転そのものには数千年かかるといい、次がいつ来るかは予測できません。岩石に記録された過去の磁場から、それが何度も起きたことだけはわかっています。
外核でできる磁場
外核です。地球の中心には固体の内核があり、その外側を鉄を主成分とする液体金属が取り巻いています。名古屋大学宇宙地球環境研究所の「地磁気50のなぜ」は、この外核が「どろどろに流れるもの」でできていて、そこにある複雑な流れが電流を発生させ、地磁気を作っていると説明します。地球そのものが大きな電磁石になっている、という言い方もされていました。外核の中では、複雑な流体の流れと複雑な磁場とが互いに影響しあっています。
内核がゆっくり固まっていく過程で軽い成分が浮き上がり、温度差と組成差が対流を起こします。そこへ地球の自転によるコリオリの力が加わり、渦を巻いた流れが生まれます。この仕組みが地球ダイナモで、計算機シミュレーションによって実際の磁場の性質が再現されつつあります。
外核の液体の動きが観測される磁場の90%以上を生む、というのがNOAAの見立てです。国土地理院はこれを99%としています。残りは電離層や磁気圏の電流、あるいは地殻の岩石が持つ磁気で、こちらは日変化や磁気嵐で目まぐるしく動きます。
11世紀の中国から
沈括(1031〜1095)は、官を退いたあとに『夢渓筆談』を書きました。ブリタニカはこの書物を、磁気コンパスへの最初の言及と、磁気偏角についての最初の説明を含むものとして紹介しています。1088年ごろの成立です。沈括は針を磁鉄鉱でこすって磁化し、絹の糸1本で吊るす方法まで記し、そのうえで針が真南からわずかに東へずれることに気づきました。ただし沈括は、それを船で使うとは書いていません。磁鉄鉱を水に浮かべると北極星の方向を指す——この性質を中国とヨーロッパの航海者が12世紀に別々に認識した、というのがブリタニカの整理です。海の上での使用を記した最初の書物とされるのは朱彧の『萍洲可談』で、1119年の刊行。曇って星が見えないとき、船乗りは「南を指す針」を使ったと書かれているそうです。
ヨーロッパで最初期の記述を残したのは、イングランドの学僧アレクサンダー・ネッカム。1190年ごろの著作で、船は磁化した針を軸に載せて備えるべきで、それは曇天や星の見えない夜に船乗りを導く、と書いています。ネッカムはこれを目新しい発明としては扱っていません。書きぶりからすると、当時すでに海の現場では珍しくなかったようです。
そこから先の改良は、意外に地味な積み重ねでした。ブリタニカによれば、13世紀に針を碗の底のピンに載せる方式が現れ、15世紀には航海者たちが針の指す先が北極そのものではないと理解しはじめます。1745年にはゴーウィン・ナイトが鋼を長く磁化させたまま保つ方法を開発し、棒状の針が普及しました。液体を満たした浮力式が作られたのは1862年で、以後、船用はこちらが主流になります。
参考・出典
- NOAA National Centers for Environmental Information「Geomagnetism Frequently Asked Questions」 https://www.ncei.noaa.gov/products/geomagnetism-frequently-asked-questions
- NOAA National Centers for Environmental Information「Wandering of the Geomagnetic Poles」 https://www.ncei.noaa.gov/products/wandering-geomagnetic-poles
- NOAA National Centers for Environmental Information「World Magnetic Model Out-of-Cycle Release」 https://www.ncei.noaa.gov/news/world-magnetic-model-out-cycle-release
- Natural Resources Canada「Magnetic declination」 https://www.geomag.nrcan.gc.ca/mag_fld/magdec-en.php
- 国土地理院「地磁気を知る」 https://www.gsi.go.jp/buturisokuchi/menu01_index.html
- 国土地理院「磁気図」 https://www.gsi.go.jp/buturisokuchi/menu03_magnetic_chart.html
- 名古屋大学宇宙地球環境研究所「地磁気50のなぜ 13. 地磁気は地球の中心部でできているって本当?」 https://www.isee.nagoya-u.ac.jp/50naze/chijiki/13.html
- Encyclopædia Britannica「Shen Kuo」 https://www.britannica.com/biography/Shen-Kuo
- Encyclopædia Britannica「Compass」 https://www.britannica.com/technology/compass-navigational-instrument
- Phys.org「Updated World Magnetic Model shows magnetic north pole continuing to push toward Siberia」 https://phys.org/news/2019-12-world-magnetic-north-pole-siberia.html
- Wikipedia「Zhu Yu (author)」 https://en.wikipedia.org/wiki/Zhu_Yu_(author)
- Wikipedia「Alexander Neckam」 https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Neckam


