神戸市東灘区の住吉に、「本住吉神社(もとすみよしじんじゃ)」という神社があります。JR住吉駅から歩いて4分ほど、国道2号線に面した境内は、地元の人々に「住吉さん」と呼ばれて親しまれています。
名前に「本」が付いていることに、気づく人はどれくらいいるでしょうか。住吉といえば大阪の住吉大社が全国的に知られています。全国約2300社の住吉神社の総本社であり、本殿4棟は国宝に指定された格式ある大社です。ではなぜ、神戸の一社が「本」住吉を名乗るのか。そこには1800年以上にわたる、解決していない問いが潜んでいます。
住吉三神とは何か
本住吉神社の祭神は、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)および神功皇后です。住吉大社の祭神とまったく同じです。
住吉三神は、イザナギが黄泉の国から帰って禊をした際に生まれたとされる神々です。海の底・中・表面でそれぞれ生まれたことから「筒男」の名を持ち、海・航海・祓いの神として信仰されてきました。全国に約2300社ある住吉神社はすべてこの三神を祀っており、その広がりは古代王権と航海の深い結びつきを反映しています。
神功皇后の帰還と、船が止まった場所
本住吉神社の創建は、日本書紀の記述に由来します。
三韓征伐(新羅遠征)を終えた神功皇后が船で帰路についたとき、大阪湾で突然船が進まなくなりました。神託を求めると、神々がそれぞれ祀られる場所を告げたといいます。天照大神の荒御魂は廣田の国(現・廣田神社、西宮市)に、稚日女尊は活田の長尾の国(現・生田神社、神戸市中央区)に、事代主尊は長田の国(現・長田神社、神戸市長田区)に。そして住吉三神の和魂は「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」に祀れ、そこで往来する船を見守ろう——と。
本住吉神社は「この『大津渟中倉之長峡』こそが当地である」と主張しており、それゆえに住吉神社の中でも「本(もと)」すなわち根源であるとして「本住吉」を名乗っています。
住吉大社との「どちらが古いか」論争
問題は、「大津渟中倉之長峡」がどこを指すかが、現在も確定していないことです。
通説では、この地は現在の住吉大社(大阪市住吉区)の地であるとされています。住吉大社の周辺には古代に「住吉津(墨江津)」と呼ばれた港があり、難波津とともに外交上の要港として機能していました。「住吉(すみのえ)」という地名の語義が「澄んだ入り江」を意味するとする説もあり、入り江の存在を示す地名が今も「住之江」「墨江」として大阪に残っています。住吉大社周辺には入り江の痕跡があるのに対し、神戸の海が入り江であったとは地形的に考えにくい、とする意見もあります。
一方、本住吉神社の主張を支持したのが、国学者・本居宣長です。宣長は『古事記伝』の中で「大津渟中倉之長峡」を摂津国菟原郡住吉郷(現・神戸市東灘区)に比定しました。宣長によれば、古事記の仁徳天皇段に「墨江之津を定む」とある際に住吉神も菟原郡から住吉郡へ移されたのであり、本住吉神社の方が創祀として古いということになります。
本住吉神社の側からは、地形的な根拠も示されています。廣田神社・生田神社・長田神社はいずれも六甲山系の麓の海岸線に沿って並んでおり、本住吉神社を加えると4社がほぼ等間隔で一直線に並びます。同じ神託で祀られた4社がこのように整然と並ぶのは自然であり、1社だけ大阪湾の反対側にあるというのは不自然ではないか、という論理です。また、本住吉神社は大阪湾を一望できる高台に位置しており、「往来する船を見守る」という神託の文言とも合致するという指摘もあります。
決着はついていません。学術的な通説は住吉大社説を支持していますが、本住吉神社の主張も完全に否定されたわけではなく、両説が並立したまま現在に至っています。
「延喜式」に載っていないという不思議
この論争に関してもう一つ注目すべき点があります。
平安時代中期(927年)にまとめられた「延喜式神名帳」は、当時の重要な神社を一覧にした公式記録です。住吉大社はここに名神大社として記載されていますが、本住吉神社はこの神名帳に記載されていません。
これは「本住吉神社の方が古い」という主張にとって不利な材料として指摘されることがあります。平安時代の官制上の重要神社リストに載っていないということは、少なくとも当時の中央政府からは住吉大社ほどの位置づけを与えられていなかったことを意味するからです。
本住吉神社が「本住吉」という名称で文献に確認できるのは鎌倉時代の文書が早い例とされており、明治初年の『神社調査明細書』には単に「住吉神社」と記載されていました。現在の「本住吉神社」という正式名称は、神社側の申請により1908年(明治38年)に復称したものです。
阪神大震災と社殿の再建
本住吉神社の現在の社殿は、1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた後に復興されたものです。本殿は小破にとどまりましたが拝殿は傾壊し、その後修復・再建されました。なお戦前には太平洋戦争中の空襲で旧社殿が焼失しており、昭和27年(1952年)に一度再建されていたという経緯もあります。
現在の東灘区は灘五郷の一角でもあり、境内には灘の酒造メーカーのお酒が奉納されています。毎年5月4日・5日には山田・呉田・住之江・空・西・吉田・茶屋・反高林の8台の地車が参集する「灘のだんじり祭り」が行われ、地域の祭礼として今も根づいています。
「本」という一文字が問いかけるもの
本住吉神社が「本」を冠し続けているのは、論争に決着をつけることよりも、「この地が住吉信仰の発祥である」という伝承を守り伝えようとする意志の表れとみることができます。
全国2300社の住吉神社には総本社が一つあり、その起源をめぐって1800年以上、二つの社が異なる主張を持ち続けている。その事実そのものが、住吉という信仰の深さと、古代の記録の解釈の難しさを同時に示しています。
国道2号線沿いの境内に立つと、かつてはこのあたりまで大阪湾が迫っていたこと、神功皇后の伝説に登場する港が今とはまったく異なる海岸線のどこかにあったことを、想像せずにはいられません。
参考・出典
- 本住吉神社(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/本住吉神社
- 住吉大社(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/住吉大社
- 住吉大社公式サイト「由緒」 https://www.sumiyoshitaisha.net/about/origin.html
- 古今御朱印覚え書き「本住吉神社」 https://blog.goshuin.net/motosumiyoshi_kobe/
- NAVI彦「西宮めぐり8 本住吉神社」 https://navihico.com/nishinomiya-motosumiyoshi/
- spiritualjapan.net「本住吉神社|神戸|住吉大社の元宮と称する神社」 https://spiritualjapan.net/16119/
- 神社チャンネル「本住吉神社は話がうまくなりたい方に最適な神社」 https://zinja-omairi.com/motosumiyosi/

