「信州そば」「伊予柑」「薩摩芋」「阿波踊り」。これらはすべて、明治以降に廃止されたはずの地名を冠しています。
「信州」は長野県、「伊予」は愛媛県、「薩摩」は鹿児島県、「阿波」は徳島県の旧国名です。政治的な行政区画としてはとうに使われなくなっているにもかかわらず、食品・観光・地域ブランドの文脈で旧国名は今も当たり前のように使われています。これはなぜなのでしょうか。
そもそも旧国名は「廃止」されていない
まず前提として確認しておくべきことがあります。旧国名は、法律によって廃止されたわけではありません。
明治4年(1871年)の廃藩置県は、あくまで「政治体制としての藩を廃止して県を設置した」行政改革です。地名としての令制国を廃止したわけではなく、その後も法令によって禁止・廃止されることはありませんでした。つまり現在も、旧国名は有効な地名として存在しています。
「旧国名」という呼び名自体がやや誤解を招きます。「旧」と付くからには新しい国名があるかのように聞こえますが、それに代わる新しい国名は存在しません。国家としての「国名(日本)」との混同を避けるため、あるいは戸籍・郵便などの表記で都道府県名が令制国名に代わるように用いられてきたため、そう呼ばれているにすぎません。
令制国の成り立ち:7世紀から続く地域区分
令制国とは、律令制のもとで整備された地方行政機関です。主に7世紀後半から9世紀初頭にかけて成立し、最終的に68か国の構成が確定しました。この68か国の枠組みは、境界の変動はあるものの基本的に明治に至るまで維持され、実に1000年以上にわたって日本の地域区分として機能してきました。
廃藩置県に際して、明治政府は旧藩との関係を断ち切る意図から旧藩名の使用を極力避け、郡名や町村名・山川名を県名に採用する方針を取りました。その結果、現在の都道府県名の多くは、旧国名ではなく城下町や地形に由来する名称になっています。
しかし令制国は別の話です。1000年以上かけて人々の生活に根付いた地域概念は、行政の再編ごときで簡単に消えるものではありませんでした。
県境と国境は一致しない
旧国名が生き続けた理由の一つは、都道府県と令制国の境界が必ずしも一致しなかったことにあります。
たとえば兵庫県は、摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の五つの令制国にまたがっています。静岡県も駿河・遠江・伊豆の三国を含みます。こうした県では、県名だけでは「どのあたりか」を言い表せないため、旧国名が地域区分として自然と生き残りました。
逆に、県と国の範囲がほぼ一致する場合は旧国名が県の別称として定着しました。山梨県(甲斐国)は「甲州」、富山県(越中国)は「越中」、滋賀県(近江国)は「近江」、奈良県(大和国)は「大和」、徳島県(阿波国)は「阿波」、愛媛県(伊予国)は「伊予」、高知県(土佐国)は「土佐」、熊本県(肥後国)は「肥後」として広く使われます。これらは県名と並行して、地域のアイデンティティを示す言葉として機能しています。
同名問題の解決策として
旧国名が行政的な場面に「呼び戻された」経緯の一つが、市町村の同名問題です。
明治以降、市の名前は全国で重複しないようにする方針が取られました。しかし市の数が増えるにつれて、異なる都道府県に同じ地名の市が生まれる問題が各地で起きました。その解決策として繰り返し使われてきたのが、旧国名を頭に冠することです。
群馬県の太田市に対しては茨城県に「常陸太田市」が、山形県の村山市に対しては東京都に「武蔵村山市」が、新潟県の加茂市に対しては岐阜県に「美濃加茂市」が生まれました。近江八幡市・大和郡山市・尾張旭市・土佐清水市・豊後大野市なども同様の経緯です。特に興味深い例が鹿児島県の川内市で、宮城県の仙台市と同じ読み「せんだい」だったため、合併に際して「薩摩川内市」へと改名しています。平成の大合併期にはこうした事例がさらに増え、伊豆市・甲斐市・下野市・飛騨市・越前市・伊賀市・丹波市・淡路市といった市が新たに誕生しました。
行政が率先して旧国名を使い続けてきた、ともいえます。
食と産業に刻まれた旧国名
旧国名が最も自然に生き残っているのは、食品・産業・観光の分野です。
信州そば・甲州街道・播磨灘・阿波踊り・伊予柑・加賀百万石・薩摩芋——これらはすべて明治以前から続く地域ブランドであり、旧国名とともに全国に広まりました。「信州みそ」「近江牛」「伊勢海老」「讃岐うどん」「土佐鰹」なども同様です。
こうした食品・特産品のブランドは、長い時間をかけて全国的な知名度を獲得したものが多く、今さら都道府県名に置き換える理由がありません。「長野みそ」や「愛媛うどん」では、長年築いてきたブランドイメージが損なわれます。旧国名は、ここでは純粋に経済的な価値を持ち続けています。
「兵庫県」という名前では伝わらない:摂津・播磨・但馬・丹波・淡路
旧国名が地域のまとまりとして今も機能している例として、地元・兵庫県は特にわかりやすいケースです。
兵庫県は摂津・播磨・但馬・丹波・淡路の五つの令制国にまたがっており、その面積は全国7位と広大です。しかし「兵庫県」という名称は、神戸市の旧称「兵庫」に由来する非常にローカルな地名です。播磨の人間が「兵庫の者です」と言うことに違和感を覚えるのは、ある意味当然で、県名が地域全体を代表しきれていないのです。
そのため各地域では今も旧国名が現役として使われています。「播磨」は姫路を中心とした西播・中播・東播という区分でなお通用し、播磨灘・播磨平野といった地名にも残っています。「但馬」は豊岡・城崎・出石を含む北部山間地域のまとまりとして機能しており、但馬牛・但馬杜氏といった産業・文化の文脈でも生きています。「丹波」は篠山(現・丹波篠山市)を中心に丹波黒豆・丹波栗といったブランドと不可分で、市名にまで旧国名が採用されました。淡路島は「淡路国」とほぼ一致するため、淡路島全体の文脈では「淡路」の名がそのまま使われています。
兵庫県の行政も旧国名を無視できず、県の出先機関に「但馬県民局」「播磨県民局」といった名称を用いています。県内の地域を指し分けるための語彙として、旧国名は行政の中にも組み込まれています。
一つの県の中に五つの「国」が同居している兵庫県は、旧国名なしには地域を語りにくいという状況を今も抱えています。
「信州」問題:県名が地域を代表できない場合
長野県の「信州」という呼称は、旧国名の生存戦略として特に興味深い例です。
長野県は長野市が県庁所在地ですが、松本・上田・諏訪・飯田など、他にも大きな都市や個性の強い地域を多く抱えています。「長野」という名称は北部・長野市周辺のイメージと結びつきやすいため、県全体を指す場合には「信州」の方が中立的で広域的な表現として好まれる傾向があります。長野市が県庁所在地である長野県では、北信地方以外の地域を意識的に「信濃」あるいは「信州」と呼ぶケースが今も見られます。
旧国名が「誰かの都市名を優遇しない」表現として機能している、というのは見落とされがちな側面です。
地名は制度より長生きする
旧国名が今も使われている理由は、一つに集約されません。法律で廃止されなかったこと、県境と国境がずれていたこと、同名問題の解決策として行政が使い続けたこと、食品・特産品のブランドとして定着したこと、そして県名では表しにくい地域感情を補う言葉として機能していること——これらが重なって、旧国名は生き続けています。
突き詰めれば、1000年以上にわたって使われてきた地名は、制度が変わっても人々の感覚から簡単には消えない、ということかもしれません。令制国は行政的には機能を終えましたが、地域を指し示す「ことば」としての寿命は、まだ続いています。
参考・出典
- 旧国名(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/旧国名
- 令制国(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/令制国
- 廃藩置県(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/廃藩置県
- nippon.com「廃藩置県150周年:明治維新最大の変革を振り返る」 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01159/
- とちりぬる「旧国はいつ廃止されたのか? ―旧国の役割の変遷―」 https://tochirinuru.com/transition_of_provinces/
- とちりぬる「旧国名にはどんな由来があるのか?」 https://tochirinuru.com/origin_and_uses_of_provinces_names
- 国立公文書館「近代国家 日本の登場 ― 版籍奉還と廃藩置県」 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/modean_state/contents/return/index.html


